ヨシダヒロコです。
今日は、実は終戦記念日だから改めて戦争について考えるということをしていないので、14日の深夜になって記念日であることに思い至ったくらいなのですが、少し政治的な発言があることをお許しください。
小学生の時から読書感想文によく戦争関係のものを選んで読んでいました。題名まで覚えていませんが、松谷みよ子の本や、恐らく「アンネの日記」辺り。陸軍将校だった祖父の影響で、祖父はあまり語りたがりませんでしたが、母から色々聞かされていました。祖父については過去ログに色々書いてます。その頃のわたしは反射的に「戦争はいけないもの」とオウムのように言うだけでしたが、まじめに怖くなったのはまず17歳の時です。
今来日して話題のオリバー・ストーンのデビュー作の映画、「プラトーン(小隊、という意味です)」。監督のベトナム戦争での実体験に基づいていますが、ひとりで富山の総曲輪の映画館に見に行って、ものすごいショックを受けて帰ってきました。戦後すぐ生まれの母に言わせると、こんな映像は沢山映画館で見せられたよ、と。日本兵が中国人を斬り殺す場面など。
下の「プラトーン」のクリップは、これから見る人のために、あえて映画のどの場面かは書かないでおきます。
(2017/08/15追記:クリップが消されたので、ファンが作ったトレイラーを。本来のトレイラーは英語のナレーションがかなりあり、淡々としています)
ストーン監督は正直説教臭いと思っていた時期もあったのですが、今出ているドキュメンタリー「もうひとつのアメリカ史」は見てみたいです。うちのTVで唯一BSが入るものが、親の寝室にあるもので……。監督がいろいろ発言しているように、今の日本の状態は危ういとわたしも考えています。この間の選挙の時も、改憲は避けて欲しかったのに、大衆はそれを選びませんでしたね。もしかしたらそういう方向に向かっていることを知らないんでしょうか。今政府がやろうとしているのは憲法96条の改正で、これを変えると9条が変えやすくなります。
Wikipediaより。
第九十六条[1] この憲法の改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行われる投票において、その過半数の賛成を必要とする。
憲法改正について前項の承認を経たときは、天皇は、国民の名で、この憲法と一体を成すものとして、直ちにこれを公布する。
わたしは9条についても色々前から考えてはいたのですが、自衛隊は認めても良いのでは?でも拡大解釈されそうだしなあと迷っていました。そこに、「ペシャワール会」の中村哲先生の談話が6月に毎日新聞で入ってきて、これは絶対変えてはいけないという考えに変わりました。9.11のあとにアメリカが無意味にアフガンを破壊しだしたころから応援していた方です。「日本人だったから命拾いしたことが何度かある」と、講演会で直に聞きました。
特集ワイド:憲法よ 医師・中村哲さん 毎日新聞 2013年06月06日 東京夕刊
<この国はどこへ行こうとしているのか>
魚拓1p 2p 3p
あと、貴重な映像を2つ出します。玉音放送で一体何を昭和天皇がおっしゃっていたのか、その時代の人々もよく分からなかったと良く本で読みましたが、今の時代は便利なもので、現代語訳のビデオがあります。分かる範囲で付き合わせてみましたが、正確なようです。
もうひとつ、マッカーサーと昭和天皇が初めて相まみえたときに居合わせた通訳さんの談話。字幕には出ていませんが、昭和天皇は握手した手より更に深くお辞儀をされたと。あと、字幕では「私はどうなってもいいが」とありますが、通訳は”Kill me”と言っています。わたしのことは殺してくれとおっしゃったと。これは初耳でした。
先の天皇陛下の責任については、昨年「はだしのゲン」を読んだときに散々出てきました。わたしはその辺は難しい問題のため保留で、特に上の映像を見た後はますます分からなくなりました。今上天皇のような方を育てられた方が沢山の人々の命を奪った責任を取らなければいけないような方なのだろうか?とは前から思っています。
最後になりますが、「第1回 日本一心のこもった恋文」でグランプリを取った手紙を紹介します。ご存じの方も多いかもしれませんが……。まだまだご紹介したいものはありますが、また機会があるでしょう。
ブログ「子どもへ伝える大切なもの」より。「天国のあなたへ」から引用。引用部分の前もいろいろと深いので、興味のある方は読んでみてください。
天国のあなたへ
柳原タケ
娘を背に日の丸の小旗をふってあなたを見送ってから、
もう半世紀がすぎてしまいました。たくましいあなたの腕に抱かれたのは、
ほんのつかの間でした。三二歳で英霊となって天国に行ってしまったあなたは、
今どうしていますか。私も宇宙船に乗ってあなたのおそばに行きたい。
あなたは三二歳の青年、私は傘寿を迎える年です。
おそばに行った時、
おまえはどこの人だ、なんて言わないでね。よく来たと言って、
あの頃のように寄り添って座らせて下さいね。お逢いしたら娘夫婦のこと、孫のこと、
また、すぎし日のあれこれを話し、
思いっきり甘えてみたい。あなたは優しく、そうかそうかとうなづきながら、
慰め、よくがんばったねとほめて下さいね。そして、そちらの「きみまち坂」につれて行ってもらいたい。
春、あでやかな桜花
夏、なまめかしい新緑
秋、ようえんなもみじ
冬、清らかな雪模様
など四季のうつろいの中を二人手をつないで歩いてみたい。
私はお別れしてからずっとあなたを思いつづけ、
愛情を支えにして生きて参りました。もう一度あなたの腕に抱かれ、ねむりたいものです。
力いっぱい抱きしめて絶対にはなさないで下さいね。
以上です。