ヨシダヒロコです。

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8月末からすーっと涼しくなってきて、わたしが生まれた秋、季節の中では一番好きな秋が巡ってきたとほっとしてました。富山の暑さも都会といい勝負でしたから。他都道府県の方にはよく意外に思われるので繰り返しておきます。
その後の台風2連発はこちらも通過して部屋の網戸が飛んだようです。警報が山ほど出ました。関西の惨状にはひたすら驚いていました。そこに北海道の地震。その頃、気温もピーク時と比べ10~15℃下がっており療養中の調子をさらに崩してしまい、被災者の皆さんに思いを巡らせる気持ちの余裕が尽きてしまった頃の誕生日でした。
外に出て好きなことができる人には想像つかないでしょうが、病がちで閉じこもっている人間にはFBのお祝いも嬉しいものです。
さてタイトルの「人間五十年」ですが、よく「人生五十年」と思われるらしくわたしも勘違いしてました。「おんな太閤記」だったか、信長が死の間際に本能寺で舞ったので子供には紛らわしかったのかも。幸若舞「敦盛」から「人間五十年 下天のうちを比ぶれば 夢幻のごとくなり 一度生を得て 滅せぬもののあるべきか」が出典です。さらに元ネタは仏典「倶舎論」で、「人間の五十年は、天上界に比べれば夢のようなはかなさだ。この世に生を受けたものは必ず死にゆく」という意味だそうです。訳は下を参考にして少し変えました。
参考にしたサイト
和魂美才 (アーカイブ)
心に残る人生の名言 – 偉人の名言とその出典 – (アーカイブ)
人間の話をしているようだけど、何か形ある(ない)非生物にも当てはまりそうです。
よく五十歳が近くなると残された人生の短さに気がつく人がいるようです。わたしはもうすぐというところに来て、病の身でよくここまで持ったなというのと、普通に暮らしたとしてどれだけ生きるかな(後半は上に書いた人と同じ感想)というのがないまぜになっています。
ちなみに、信長公はよくドラマで描かれるような「キレた」人ではない説がこの頃出ているようです。歴史は本の中で完結せず、新しい事実や説が出てくるところがエキサイティングです。