Eテレ「ボキャブライダー」でちょっとした英語のフレーズを楽しく勉強。

ヨシダヒロコです。

この間の同じくEテレ「おもてなしの基礎英語」に続いての紹介です。この番組は5分で、1週間同じ内容を放送します。試しに見るなら違法動画はYouTubeにあったりしますが。この番組は語彙力強化のためで、苦手だから勉強しようという方がこれだけを見ても足りず、他にもやった方が良いです。語彙伸ばすのは地道なので、こんな楽しい番組あるよというお話です。

https://www2.nhk.or.jp/gogaku/english/vr-tv/        (アーカイブ)

  • 放 送:月曜日 午前5:50~5:55
  • 再放送:月曜日 午前10:20~10:25
  •     木曜日 午後1:55~2:00
  •     金曜日 午前10:50~10:55
  •     金曜日 午後7:50~7:55
  •     日曜日 午後6:55~7:00

普通の生活を送っている市民が会社や家庭で普通に会話していると、なぜか話し相手が突然英語ネイティブに変身してしまう。”What? You said xxxx. What does it mean?”というようなことを言われて日本人は「うわー、また英語だよ」と大弱りするのです。まるで責められているような感じです。その単語というかフレーズをきちんと英語で言わないと解放してもらえないんです。

これは、服屋さんで店員役のりゅうちぇると支払いの話になったとき、突如変貌した話。結構有名人が普段から出てるんですよね。りゅうちぇるはゲストだったみたいですが。

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そこで登場するのが英語のヒーロー「ボキャブライダー」。ライダー服を着た男女が、放送室のような所でマイクを前に、どう返事したら良いのか説明してくれます。

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このりゅうちぇるの時は「分割払い」というフレーズ、わたしが「そう言うのか……」と思った「炭水化物」もあったし、今週は「太陽系」です。コメディーなんだそうで間が抜けていて、見てて楽しいです。

語彙についてはわたしの場合単語集は使いません。勉強している他の言語も同じく、主に例文で覚えてます(それか例文のしっかりした単語集を買う)。インパクトのある例文(問題集でも読書でも何でもいいから)があるとなかなか忘れませんよ。

ラジオでもやっているんですがあまり聴いていません。そんな訳で、お薦めその2でした。

 

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「モテ基礎」ことEテレ「おもてなしの基礎英語」。

ヨシダヒロコです。

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夏に英語などの語学学習の話を書いてから、手近なものでお薦めできる教材があったらと思いまして、そのため見始めたのがこれと、同じチャンネルの「ボキャブライダー」でした。NHKラジオは今録音溜まっているので、代わりに見ている感じです。

レベル的には中学校卒業レベルのA2のはずですが、わたしでも「ああなるほどそう言うんだっけ」という表現がまれにあります。「おもてなし」は2020年を意識したものであるんでしょうけど、話が面白いし1日たった10分です。全部会話内容が知りたければテキストが必要な方もいるかもしれません。

お話は、20代でゲストハウスを始めた早苗のところにキャラが濃い宿泊客が次々来て、全く飽きませんという内容。番組の雰囲気も肩のこらない感じです。早苗役の方は今回初めて英語で演じているそうで、上手なのでびっくりです(テキストより)。

https://www2.nhk.or.jp/gogaku/english/motekiso/

放送時間

  • 放 送:月~木曜日 午後10:50~11:00
  • 再放送:火~金曜日 午前10:15~10:25
  • 再放送:火曜日(月曜深夜) 午前1:00~1:40(4回分)

生徒役の三田寛子さんや向井 慧さんも楽しい方ですが、ハリー杉山さんのキャラが秀逸。怪しい外国人の演技もするし。この方は今日のフレーズをただ”Repeat after me”とはいわず、「眉毛上げてー」など、フェイシャルな表現も教えてくれます。失恋話をネタにして受けを取り、幼くしてロンドンに渡って”th”の発音ができず学校で残されて延々やらされたそうです。これ日本人の苦手な発音ですね。そういうときには口元がアップになります。顔の表情がわたしはダメなのでコミュニケーション的に良くないのかもしれないなと気づかされました(だから英検に落ちた)。

わたしのアウトプット(書く・話す)はおおむね通じていますが、たまに自然とは言えないことがあるので、楽しみながら「なるほど」と英語に触れ復習しています。ぶっ飛んだ展開になることもあるので、TVの前で受けてしまうことも。

英語何かしたいけど、何から初めていいか分からない人のためにまず第1弾を書きました。この番組は4月から始まっていますが、途中から入っても大丈夫ですよ。

わたしのしてきた英語の勉強(のようなもの)その4(終)・離婚し体調調整しつつ現在まで、今は大学生

ヨシダヒロコです。

その1  その2 その3 に続く

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亡きうちの猫です。削除したエントリより。

言葉とは怖いものだ、と思うようになったのは実は最近です。今ではアカハラとかモラハラとか言われていても、当時はその名前で知られていなかったものには過去非常に苦しめられました。両方とも結構歴史があります(モラハラはフランス人イルゴイエンヌ著の日本語訳が1999年刊)。

医学的なことを知らない人にPTSDですか?と聞かれることがありますが、主治医曰く「診断基準をわずかに充たしてないし、私がその場にいた訳ではないけど命に関わる目には遭っていない」との判断で「後遺症」が長々続いています。精神科の不思議なところは、医師が変わると診断が変わることがあることで、精神科訪問看護を受けていますが、「ニュースとかでなんでこれでPTSD?ってケースがありますよね」と看護師さんと話しています。

病的でなくとも、誰かが言った言葉が引っかかってとか悔しくてとか普通にあることでしょう。事態が重くなると、言った方は全く忘れて普通に毎日を送っているのに、言われた方は長く気にしてしまい、生活に支障を来してしまったりすることもあるでしょう。

わたしが傷つける側に回らない保証はないので気は付けていますが、どうやっても誤解までは防げず、難しいと思います。それくらい言葉は難しく、特にSNSは複雑な話に向いていません。うまく情報収集に使えば便利ですけどね。


広島時代のわたしと英語

これは、だいぶ前に書いた「翻訳者と結婚してうまくいかなかった場合の話(リンク)」の再謁に近いです。2年も持たず実家に帰りました。11.がちょうど14年前です。

  1. 元夫と机を並べてフリーとして翻訳(英日&まれに日英、技術系)
  2. 初めてTradosの画面を見る
  3. 家事との両立、体調の管理に苦労
  4. 同居人はとにかく仕事の邪魔だった
  5. 英語学校は紹介で大手ではないところ、少人数制
  6. スペイン語の学校にも通う
  7. スペイン語、イタリア語のNHK TV
  8. モラハラでいろんなことが回らなくなり、寝たり起きたりになる
  9. 1000ページの医学系書籍の仕事が全く進まない
  10. フェレットたちを連れていくこともできず、ポシェット1個でアパートから逃げ実家へ
  11. 後に調停を起こされ、離婚
  12. 病状は30年弱の病人生活で最悪だった
  13. 現在も広島に行くのはきつい

1.仕事は契約的に大丈夫だったのかどうか、手分けしてということもありました。向こうの方がキャリアが長いので、確かサポートしてもらうような話になっていて、助言もらったこともありましたね。

3.家事といってもごはん作るくらいでしたが(掃除・整頓が下手なので)、夕ご飯も具合悪いとか仕事とかある場合にこっちはギリギリまで何とか支度しようとし、相手はできないなら早く言ってくれと揉めました。ラーメンやつけ麺、お好み焼き(デリバリーの場合も)の外食になったこともちょくちょくありましたけど。今のわたしは1人分くらいならその辺探して何とかしますが、当時は新婚だったし頑張りたかったのですよね。それに、「冷蔵庫の中のもの」で作るのは慣れないと難しいです。結婚前に仕事のゴタゴタでかなり疲弊していたんですが結局広島で休めず、体調がだだ下がりになりました。以降に少し書きます。

4.同居人にこまこまと好みというかマイルールがあると疲れます。そういうのは傍から見ててなんでそうなのか理由が分からない場合があります。似た理由で東京時代引っ越ししました(当時の主治医もそれ分かります、と言ってた)。しかも今回同僚というか上司のような扱いでした。うちのことが仕事を侵食していく訳です。在宅だと息抜きが難しいです。事務所持つ人もいますけど。

5.今はない学校です。現在通っている富山県内の学校がここを参考にしたそうです。広島の学校はイギリス人とアメリカ人の担任が代わりばんこにいて、みんなが結構好きに喋る感じでした。

6.最初は少人数→プライベート。5.&6.はアパートから逃げたときに終了になりました。

8.& 9. 元夫紹介の翻訳会社からもらった大型案件ですが、後に心因性だろうと言われたしつこい頭痛が主で寝込んでしまうように。今もわたしは処方の頭痛薬飲んでいて、メンタルと頭痛はかなり相関関係あるそうです。仕事は富山に帰ったわたしが続行不能(受け入れ先に断られたけど主治医が「即入院」というような状態)になってバトンタッチしてもらいました。広島で何が起こっていたかは富山に帰って分かってきました。

12.広島ではフェレットオーナーさんとペット連れて集まったり、輸入食材屋・パン屋で買い物して楽しかったり、お好み焼きは出所にかかわらず好きだったしという思い出もあるのですけど、あれから1回勉強会で行きました。富山にいてもまだ苦しいことがあるので今後についてはどうなんですかね。


傷をいたわりつつ現在までのわたしと英語(専門知識も)

 

  1. 最初は翻訳者だと名乗らず、実名でブログを始める(場所は違うけど本ブログ。離婚翌年の2005年)
  2. 最初はProZ.com中心に受注、海外会社に泣かされる(未払い、詐欺など)。特にトラブル時、英文メールの書き方は大事。アメリアには出たり入ったり。
  3. Trados 2006よりTradosユーザーとなる。ここ数年で使えるツールは増えた
  4. 十何年前、うつ病でなく双極性障害と分かり、生活が大変なので障害年金を申請し通る
  5. 後に障害者手帳も取得
  6. 2010年くらいになってある海外会社から受注が増えたが、あまり良くない会社と分かって縁を切る(支払い遅れがあった)。その後は国内会社中心に開拓・受注したいのだけど模索中。
  7. イタリア語、スペイン語はNHKラジオ→Skypeレッスンや通信講座へ
  8. スペイン語は東京まで「通学」翻訳講座に行ったことも。難しかった
  9. イタリア語、スペイン語は中級くらいまでの検定に通り、もう少し頑張る予定
  10. 英語翻訳は東京、大阪、広島などの勉強会やセミナーに出かける(Facebook経由やJTFなどのメール情報で知ることが多い)
  11. 江川の英文法を全部読む
  12. 英訳を本で勉強(過去ログ その1 その2
  13. バイオをやさしい本から順番に読んで仕事もらうまで行く(翻訳祭2017の「ミニ講演会」で発表 その1 その2
  14. 2011年から隣の市で月1プライベート、フリートークの英会話教室に行っている
  15. 2016年に放送大学再入学
  16. NHKラジオを今年3言語で再開
  17. 以前「今日の勉強」的にあれやってこれやって、というのをSNSに書いていた。似たようなことをしている人は他にもいて、今だと「翻訳ストレッチ」が巷で流行中
  18. 現在休養中で、今後もこんなことはあるだろうがボチボチと
Dawn view of Toledo

Credit: Adobe Stock, いつか行ってみたい街はいろいろありますが、例えばスペインのトレドです。

2.いい加減払えとメールできつく書いても全く堪えない常習犯もいましたので、事前に会社の評判調べておくのも大事ですね。あと、まれに電話がかかってくることがあったり、こちらから支払い遅れを催促することがあるので、海外エージェントとの取引では会話できた方が良いです。今はどうか知りませんが、中国・インドが新興国と言われていた頃、断っても意味が分からないのか超安い単価(3円~5円/wordとか)でまた声をかけてくるので、メールはフィルターしました。短期で大型案件も多いような。

6.わたしが「いち抜けた」した会社は、定期的に単価を下げ、耐えられなくなった人が辞め、の繰り返しらしかったです。来るとわたしに決まっていたような案件があったのですが、クライアントに申し訳ないとは言え、20日以上1ヶ月分の生活費が遅れるのは耐えられませんでした。欧州なら取り立ての会社あるそうです。海外はいろいろいい加減なので、やっている仕事量の割にスキルが上がらない場合も。

国内の特に大手は、既にトライアル受けたり登録したことがあったり、条件を知っていたりします。それで余計に新規開拓が難しくなっています。よく分からない機械翻訳を導入したなど条件が合わない会社を昨年切ったんですが、向こうは「そうですか」と言っておいてデータ消してないとか最近2件連続で経験しました。

8.いろんな課題があって何でもやらされるんだとも言われました。聞き取りもある場合があると(英語翻訳でも実務翻訳者に動画の字幕付けてくれという案件があるそうです)。「楽しく訳せたから出来がいいとは限らない」みたいな講評をもらいました。

9.翻訳するなら、トライアル一発なので資格は関係ありません。試験受けていく過程で面白いことを知ったりできるので受けています。イタリア語検定は準2級に惜しいところで落ち続けていて、先生には翻訳まだまだと言われています。スペイン語検定3級にB判定で落ちた後、DELEというスペイン政府の試験(B1)に落ち続けています。わたしが英検を信用できないのは、DELE試験官が試験(厳しいらしい)でちゃんと選ばれていて、いろんな国から来ているのに発音もばらつきがないから。受験料がお高いのでそこまでできるのかもしれませんけど。

10.セミナーは出ればいい訳ではなく、自分なりに復習しないと(自らに言い聞かせている)。治験周りは自習の方法ない訳じゃないらしいですが、また翻訳講座受けようかなと考え中です。

11.この本です。自分がいい加減だったと実感したような。他にも自分が知らないだけでいい本はあると思います。正直冠詞などは今でも英訳でボロが出ているので読み直すかな。Logophileに入れたロイヤル英文法を最近使っていますが。日向清人先生の本も気になります。

14.イギリス人の先生が主です。ですけど、2年ほどなかなか定期的に行っている余裕がありません。家族経営的で、兄弟に順繰りに習っているところです。来月BBQもあるし行くぞーと思ってるんですけどね。先生たちがパブ(バー)を建てて夜はお店の人になり、お酒や料理出してくれてたこともありました。

15.放送大学はずっと前に何もしないで辞めたことがありましたが、現在院にも学部にも籍があります。初歩イタリア語を視聴(のみ)、他に理系中心で履修しました(精神医学、生物学、言語学を大学院で、物理学3科目を学部で)。この間、昔は点数取れなかった物理の専門科目を終わらせたところ。対面授業もあります。来期は息切れのためお休みすると思いますが、過去の化学科時代の単位も生かして物理方面で修士号を取りたいなと思っています。なのでこのブログは物理の話が多いのです。

16.ビジネス英語は「入門ビジネス英語」「実践ビジネス英語」と2つあります。前者はビジネス現場で「人の心を動かして」ビジネスを円滑に進めるものの言い方が参考になり、後者はアメリカのビジネス周りのトレンドについて突っ込んだ話。他の言語も夏に体調崩して遅れまくりです。

17.翻訳ストレッチについてはTwitterでハッシュタグ探すとあるんですけど、改めて書くかもしれません。

18.ボチボチに持っていくのが難しいこともありまして、本当に仕事と体調の波は何とかしたいですね。翻訳者は勉強してなんぼなんですけど、仕事があって調子が良くなく勉強が重なるとえらいことになることがあり、ペース配分も大事です。

今『半分、青い』を惰性で見ていますけど、鈴愛があれほどやりたかった漫画家を辞めたあたりのところは心に残りました。くらもちふさこさんも見ていたようで、こんな記事があります。このお話、自分の仕事に引きつけて考えるとすごく分かります。続けていると、現在経験中のことも含めいろんなことがあるので。

くらもちふさこ 朝ドラ鈴愛に「漫画をやめてほしくなかった」   (アーカイブ


 

最後に、物理学者ニールス・ボーア(コペンハーゲン生まれのデンマーク人)の言葉を引用します。量子力学を提唱し現代の物理学を開きましたが、アインシュタインは「神はサイコロを振らない」と量子論を認めず論争になりました。2005年のわたしはまだ大分体が大変だったはずなんですが、こんなエントリを書いていました。

引用します。

An expert is a person who has made all the mistakes that can be made in a very narrow field.

***

大分前の「日経サイエンス」上で「あらゆる失敗をしたものが専門家になる」と紹介していたような気がするのだが、そしてすごく励まされた気がするのだが。ふと原文(英語でいいのかな?)を当たってみた。「非常に狭い分野で」っていうのが抜けている。

***

失敗しても次に生かさないとダメだと思うんですが、これを自分の研究HPに書いている研究者もいました。確かに励まされる言葉ではありますね。ボーアの言葉は物理関連の他にもなるほどと思うものがあり、日本でも人気があるのは頷けます。

残念ながら、わたしがこのように努力しても必ず成功するとは言い切れない(100%ではない)のが翻訳という仕事だと思います。物事に100%確かなことなんてありませんが。好きという気持ちだけでもやっていけず、なかなか難しいことですね。異論のある人もいるようですが、仕事の継続獲得についてわたしの周りでは口にはいちいち出さないけど悩みを持っている人が多い印象を受けます。

自分のやって来たことを10年強分の過去ログに書いてあります。最初の方はあまり内容ないんですが、参考になるところは持っていってくださいませ。

そういうわけで、長々書いてきた自分の勉強歴(人生も?)はひとまず終わりです。

~おしまい~

わたしのしてきた英語の勉強(のようなもの)その3・大学院中退、家庭教師バイト、翻訳通信講座

前々回 前回から続く

ヨシダヒロコです。

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英語関係ない話が多いと思われた方もいるやも。まず、こういう状況でわたしはこういうことをしていたよという相関をお話ししたいのと、わたしは言葉に関してとてもいやな目に沢山あっています。言葉というものはこれだけ人を傷つける、だから大事ということを言いたくて書いている部分もあります。最近積ん読のスティーヴン・キング”On Writing”が目に入ったのですが(邦題『書くことについて』)最終章は確かずっと自らの人生のモノローグでした。もちろん、すっかり忘れていたので真似たつもりはなかったのですけどね。

それに富田靖子さんが、昔のNHK『スタジオパーク』のインタビューの中で「言葉は本当に怖いです」としみじみ言っていたのを思い出します。言葉って選べば人を簡単にハッピーにできるし簡単に絶望のどん底にも突き落とせます。言葉に関わるのなら知っておいて欲しいです。

もう1つ、わたしはいわゆる4技能(読む、書く、聞く、話す)を全部やろうとしましたし、今も努力しています。多分興味あるからだろうし、すべてはお互いに関連しているとも思います。英検などでA1とかB2とかありますけど、その評価付けをしているEUのCEFR(セファールまたはセファー)が今年4技能を止めて別の言い方に変えました。それを書き出すと長くなるので別の機会にしてここにリンク貼ります。

ただし、読まれた方は好きなように参考にしたりしなかったりされればいいと思います。みんなやり方が違いますので。

(箇条書きにしたら段落の間が空けられなくなってしまいました。画像や太字で努力しましたが、読みにくかったらすいません)→直しました(2018/08/27)


理系大学院生時代のわたしと英語

  1. 英語が読めない
  2. 論文翻訳バイトができない
  3. 大学院には猛勉強で受かったが、体を壊す
  4. 昼夜逆転に苦しむ
  5. いろんな国の留学生との交流
  6. (言いそびれてました)大学生の頃から杉田先生のNHKラジオ「やさしいビジネス英語」
  7. アメリカ人&日本人カップルの英語教室に短期間行く
  8. バンドとかやって勉強に影響出まくり、ライヴ沢山聴きに行く
  9. 休学もして体調整えてみたが、中退
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1.専攻は天然有機化学で、薬効のあるものなどを自然界から探したり、同じものをフラスコ中で作ったり構造を探ったりします。割と最近知ったんですけど日本のお家芸だそうで、創薬の最初のステージでしょうか。まずは研究生として浪人をやりました。ただ、タスクは他の4年生たちと大体同じです。理系だからといって求められる英語が楽なわけではなく、わたしの研究室のクラスメートたちには帰国子女で卒論を英語で書けて、日本語能力も全く問題ないような人がいたりしました。他にもいわゆる「英語力」ならわたしが上かもしれなかったですが、学問の基礎がもうあり、日々誰に言われなくとも図書館から論文や和書の科学書借りてきて読んでいたりするような人々もいて、内容把握で勝てるはずがありませんでした。院生になってからだったか、原書講読でやらかしていたボロボロの訳は戒めのためにとってあります。

2.入学前に「英語得意なら論文翻訳のバイトが」という話もありましたが、わたしのレベルが低すぎました。複数論文を調べ、紹介したいお題を当時はスライドがまだなかったのでOHPというフィルムで投射して紹介するというのも順番で回ってきました。生化学やバイオ系が怖い、分からないと思っていたのはこの頃からで、最近数年でやっと抵抗がなくなってきました。内容が分かることは大事、とこのとき心に刻みました。

3.大学院入試は語学、化学、数学の3教科のはずでしたが、第1志望ではその年から数学がなくなりました。英語の配点高くなったラッキーという。理、薬、農学部の化学系に出願しました。学部生の時からずいぶん色々な研究室を訪問したのですが、薬学部の研究室の学生さんに麻薬成分他が書かれたノートコピーさせてもらったり、農学部では先生にその研究室の論文を頂き、お茶の成分トン単位から取れる活性成分mg単位という恐ろしいことが書いてありました。麻薬のところは落ちて別のところで拾ってもらえたのですが、理学部にまあまあで受かったので、農学部と薬学部の先生に辞退のお手紙を書きました。ただ睡眠5時間が続いてたので、受かった後がくっと体調が悪くなり大変でした。面接では頑張った化学ではなく外国語(ドイツ語もあったところがあったので)のみ評価されました。

4.望まないのに昼夜逆転のパターンに延々なってしまう睡眠障害があるそうですが、その頃知られておらず治療法もありませんでした。お医者さんと保健管理センターのカウンセラーさんにお世話になりました。眠剤飲んでも夜が白々明けてしまい、それから寝てたため朝大学に行けずしんどかったです。修論のテーマが進まないことは非常にプレッシャーでした。

5.国籍で覚えているのは、インド、中国、コロンビア、スリランカ。人生いろいろという感じでしたが、複数言語が飛び交うときもあって面白いと言えば面白かったです。研究者として来ている方もいました。コロンビアの方とは英語で会話をしていました。

6.院生の時はどうだったか忘れましたが、大学生の時に杉田先生のNHKラジオ「やさしいビジネス英語」が始まり聞いていました。その頃、国際関係学部とかの知人でもビジネス英語の重要性を分かってなかったようです。東京時代、TOEICは多分受けていたのではというおぼろげな記憶のみです。

7.東京で1回大学の近くに引っ越しをしていて、そこでこじんまりした英会話教室に出会いました。恐らく体調要因であまり続かなかったのですが、その後こういう雰囲気のところを選んで行くようになります。

8.東京行く前からバンドもどきの準備始めてた始末で、しかもお茶の水で高いヴィンテージベースをローンで買ってしまいました。うつ病者は夜に調子が良いことあるせいか、元気がないという割には東京で集中して開かれる洋楽コンサートをかなり聴きました。日本人ミュージシャンも、Charとか木暮”Shake”武彦(レベッカの初期メンバー、ダイヤモンド☆ユカイさんともバンド組んでた)さんとか。その他ブルーノートにも1、2回行きました。英詞も書いていたけれどさすがに後で恥ずかしくて、高校以来から書きためた(日本語の)詩もろとも廃棄しました。

というわけで、大学やめてまた富山に戻ることになりました。バブル崩壊から2年ほど経過し、わたしの行く企業はなかったと思います。将来が真っ暗で捨て鉢な行動ばかり帰ってから取っていました。ただし、学校自体は皆が仲良くて楽しいことも多く、もっときちんと勉強したかったなと思います。この専攻になってよかったことは、薬のごく基礎的な知識と、天然成分は優しいといくらいわれても例を複数挙げて「それは違う!」と言えるようになったことでしょうか。


家庭教師などバイト時代のわたしと英語(20代後半)

  1. 郷里に帰って家庭教師や塾教師(個人指導)をメインにする
  2. YMCAの先生から1年かそこらプライベートレッスン(同日追記:偶然掲示板で知り合って、学校は通してない)
  3. 他には近くの会社でデジタル地図をトレースしたり、遠くのブラック企業の研究職をすぐ辞めたり
  4. 『通訳翻訳ジャーナル』の記事に影響されて富士通のPCを買い、NIFTY-Serveに入る
  5. 今はない富山の翻訳・通訳グループに入ってお茶会など
  6. Nifty翻訳フォーラムのつてで洋楽の初仕事
  7. フェロー「Step24」(入門コース、通信講座)
  8. DHC「英日メディカルコース」とフェローのメディカル「マスターコース」(後者は選抜試験あり)を受講(通信)
  9. 英検1級とTOEIC900を8.とあまり変わらない時期に目指し、前者はあと1点とかそこらで落ちる。TOEICは達成
  10. トライアルにも2社くらいには受かって少し仕事していた
  11. ブロードバンドができてよく外国人と英語チャットしたりメル友作ったり
  12. ロンドンのロックFM”Virgin Radio”を聴き倒す
  13. 週1で主に中国人に2年ほど日本語を教えた
  14. 同業者の元夫と知り合ったのこの頃
  15. イタリア語、スペイン語に興味をまた持ち、Eテレ(当時は教育テレビ?)を見る
  16. 吹き替えの『ER』、あと字幕の『アクターズ・スタジオ』が好きだった
  17. イギリス短期留学から10年後に「リベンジ」でロンドンに1人旅、今度は楽しかった
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1.大学生はじめから家庭教師バイトしていて、続けるうち子供への苦手意識がなくなりました。親近感が持てる子だと、週1以上で訪問してますから親戚のお姉さんみたいな気持ち。ほぼ女の子対象に英語と理系科目を主にして、試験前は他教科もできるだけ対応するという感じでした。英語はCDを貸したり、古典や世界史で『あさきゆめみし』『ベルばら』を貸したらマンガは「目が小さい」と言いながら読んでくれました。教える経験は自分の勉強にもすごくなります。最近個別指導が盛んですが、違う技術なのでわたしには合いません。

2.この先生はシカゴの方でしたが、年もあまり変わらず音楽の趣味も合い、話して楽しかったです。新婚の奥さんも可愛らしかった。週1くらい1時間ほどのフリートークでした。

3.Googleマップがない時代に、お役所の様々な地図を特殊なソフトでなぞってデジタル化してました。TOEICスコアも買われ、研究職+英語要員で中途入社したこともあるんですが、トルエン(シンナー)を換気もせずガロン単位で使わせるなどいろいろあってすぐに辞めることに。会社も数年前に潰れたそうです。

4.富山にまた戻ってから『通訳翻訳ジャーナル』を書店で見かけ、パソコン通信NIFTY-Serve特集(翻訳フォーラム)に影響されました。翻訳フォーラムは後に文芸翻訳フォーラムと分離しました。Windows95が出てデスクトップPCが普及しだした頃で、それまでも卒論書くのにPC借りたり、化学式を当時描けたのはMacだけだったのでソフトを研究室で触ったりしていましたが、初めての自分のPCで夢中になりました。フォーラムも活発でしたけど、夜になるとチャットしたいと出てくる翻訳者、志望者、英語好きさんといろんなお話をしました。フォーラムにはTwitterのような、3行で言いたいことをいう3行部屋もあり、わたし含め愛好家がいました。「大オフ」は当時飲み会だけでしたし、他にも飲み会やオフがありました。タイピングが早くなったのはチャットのおかげです。

5.これもネットから派生したのですが、意外に富山に住んでいる人がいるのでお茶でもと人を集めた方がいて、わたしも呼んでもらいました。月1でランチするという緩い会で、わたしが結婚した後にトラブルがあって会が停止してしまいました。わたしが遠くから余計なことをしたせいもあったのかもしれません。

6.7.の受講中だったと思います。わたしは音楽部屋に常駐していて、その部屋の管理人の音楽・スポーツが専門の通訳さんから振られたお仕事でした。手がけた文書のうち、新人アーティストに関する文章があって、その人がデビュー早々ビルボードトップになったのは嬉しかったです。人気は長続きはしなかったですけど。

7.初めての通信翻訳講座だったはずです。英語のテストなどの点数が取れるのと翻訳は違うと自分でも分かっていたので、基礎からやりました。

8.両方並行したのはきつかったです。マスターコースは最後1回が直接講義です。「好感の持てる文体だが、医学の文体になっていない」とか「調べ物をもう少しのところで諦めてしまう」という講評を頂きました。特に後者は今でも良く覚えています。将来どうするかを考えていたかどうか、よく覚えていません。

9.英検を信じられなくなったときでした。大阪まで2次を受けに行って、たしか1次も後1点で落ちた経験をしてからのことでした(その前に1次B判定で落ちたような記憶があります)。試験官3人中日本人試験官1人だけの発音が聞こえないのですよ。面接終えて廊下に出たらみんな言っていました。わたしは「コミュニケーション能力」で点が低く、アイコンタクトはしていたので身振りがなかった?とよく分からず、今日まで再受験する気はありません。TOEICもこれだけ取ったのでもういいやと。そもそも翻訳に関係ないし。

10.トライアルに受かった会社から無理言われたり、人の出版翻訳を夜更けまで手伝ったりを家庭教師の仕事の合間に入れていました。辞書CD-ROMも揃えつつありました。

11.メル友は今は流行らないですけど、結構ネットにはいろんな人が日本に興味を持っていて面白かったです。変な人もいました。離婚して帰ってきてからもチャットはしばらくやっていました。

12.有線を部屋に入れていた時期があって、後にインターネットでロンドンとNYのFMなど数年前まで聞いていました。Virginは選曲が非常にかっこよく、90年代に日本人リスナーは珍しかったらしいです。何年も聞いてて曲やCMをよく覚えました。今は海外配信が英国メディア全体でできなくなったらしいです。好きなDJのトークを聞きとろうと録音したり、いい曲のタイトルが分からないので歌詞をなるたけディクテーションして、昔は違法なためほぼなかった歌詞サイトで探したりしました。TOEIC上がったのはそれでかも?

13.ボランティア日本語教師講座を3ヶ月受けました。張り紙でLanguage Exchangeを募ったら、勉強する気あるのか?というアジア・中近東の人が多く来て、日本人との関わり(ごはん食べるとか遊ぶとか?)を欲していたんでしょうけど面倒なことが多く困っていました。それで、別の協会で中国人妻を教えることに。真面目にやってくれたのはいいけど、DV日本人男性には悲しいことに日本人女性に逃げられると、それなら中国人妻はどうだ?みたいな発想になる人がいるようです。あとでわたしも結婚後DVに遭ったので、富山に帰ってからかつて被害に遭った生徒さんの消息を尋ねましたが、見つかりませんでした。日本語教師は生徒さんの人生相談役になってしまうような難しいところがあります。言語的には日本語を別の視点から見ることができました。よく手作り餃子をもらいました。

14.(最後参照)

15.この2言語は似ているので、多少時間をずらしたのですけどやはりこんがらがりました。

16.『ER』は二か国語放送でしたが字幕なしでは無理で、忙しくて第2シーズンまで見てたかどうか。『アクターズ・スタジオ』は俳優の卵に聞かせる先輩の俳優さん女優さんへのインタビューです。もともとインタビューというものが大好きなわたしは、いろいろ掘り下げる司会者の話術もジョークも楽しみました。原題”Inside the Actor’s Studio”といい、なんと米国ではまだ放送しています。 一部分だけ下に貼ります。あとIMDBへのリンク。

17.19歳の時しばらくいたのはシェークスピアの故郷の地方都市、ストラットフォード・アポン・エイボンでした。ロンドンは週末ちらっと行っただけ。この旅ではロンドンのオスカー・ワイルドの住んでいた家の前まで行き、スローン・スクエアだかで店員のお姉さんと「日本サイズはえっと」と話しながらローファーを買い、まだ日本になかったかもしれないロクシタンに偶然入り、1人でパブに入ってランチしたり、ライブハウスに1人で3回行き女性が演奏に興奮して振ったペットボトルの水をかけられた上ガン無視されたり、いろいろありました。フラット型ホテルだったので小さなスーパーにも行きました。改装前のテートギャラリー、キューガーデンにも行き、自然史博物館で長々粘りましたが英語が読めなかったです。ネット知人に案内してもらったり総じていい旅でした。海外にはこれ以降行っていません。

 

この時期様々なことがあり、ターニングポイントだったんだなと実感します。結婚することになり、話が二転ほどしてわたしがフリー翻訳者になり広島に行くことになりました。辞める辞めないで揉めた家庭教師事務所も契約解除しました。引っ越し前に県内の別のところで少し塾講師しました。

普通フリーになるときは二足のわらじしてて仕事が増えたところで1本化する、またはそのまま2本なんでしょうが、自分に仕事の蓄積はありませんでした。「一緒にやろうよ」という言葉を真に受け、最悪のタイミング(入院が要るほどの体調)ではしご外されたと今でも思います。

家庭教師を辞めることになったお宅ではすごく困った困ったとなりご迷惑をかけ、ボロボロになって広島から富山に帰ってきたら、受験に失敗し半ば病んでいる生徒さんもいたくらいでした。翻訳するなら富山で教えるだけ教えてきちんと幕引きして、とできたらよかったのになと思い返すこともあります。

3回と前に書きましたが、4回目、広島以降今までのことを書いて終わりにします。

~最終回に続く~

わたしのしてきた英語の勉強(のようなもの)その2・高校と大学理系学部にて

ヨシダヒロコです。

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Credit: Pixabay

前回から続く

前回のブログは、題名のせいかPVが多少上がったのだけど、どう受け取られたのでしょうね。「要するに英語がすごく好きだったのね」と思われたかもしれないですが、長いシリーズにしたのはすごく紆余曲折があったからです。

中学の時に周りから浮いたのは成績、特に英語のせいだったと思います。特に田舎の学校というところは成績が良い、悪い、家庭環境が人と違ったりすると浮くので、仲間はずれにされるのが嫌で授業中にはしゃいでサボってみたら予想通り成績(特に数学)が下がったりしました。中学校の時に嫌な思い出があったせいなのかなんなのか、望んでもいないのに優等生とされ、そう振る舞う羽目になって、コンプレックスがありました。単独行動が多くなったのは15の時です。

長くなってしまいましたが、よろしくおつきあいください。


 

高校生のわたしと英語

高校は英語を特に学ぼうと思って行った訳ではありません(英語コースがある学校は別にありました)。進学校だけあってすごい人が多く、自分が目立たないので楽になりました。当時は部活ばかりしてても物理の先生が「またラッパばっかり吹いて!」とか言ったりして容認してくれている雰囲気がありました。今の母校はまだブラス頑張ってますが、某最難関帝大に入れとすごくうるさいらしい。わたしが15、6年前くらいまで家庭教師してたときにも参ってる後輩の生徒さんいました。

さて英語ですが、こんなことがありました。

  1. 授業は聞くだけで、相変わらずNHKラジオだけ
  2. 英検3級、2級合格
  3. 留学生が来たけど話せなかった
  4. 将来の志望が決まる
  5. 洋楽に引きつづき惹かれる
  6. 洋画をひとりで見に行く

1.については3種類の授業があり、リーダー、サイドリーダー、コンポジションを確か1年生だとIR, IS, ICみたいな感じで呼んでいました。2年生で理系に上がってからも同じだったはずで、教科書が3冊ありました。予習をしなくてはついていけないはずですが、帰宅も早くはなくてたまに朝練まであるような状況ではそれは無理で、当てられると「大体こんな感じ」で訳しました。文法はオレンジ(当時。今は違う)の数研チャート式、他に問題集もあったかもしれないし、ラダーシリーズとかよりだいぶ難しかったはずのリーダー(小さめサイズで100ページ台くらい?後ろに単語などの解説がある洋書)を1冊ぽんと渡され、何十ページと実力テストに出ました。ラジオを聞いていたせいで成績が大幅にひどいことはなかったですけど、もっとやっとけばよかったです。

2.はあまり準備をした覚えはありません。

3.Jさんという女子高生がアメリカから1年くらい留学に来ました。お話ししたかったのですが、前回書いたようにその頃とても内気だったので。今では道聞かれることも不通普通にあるし、聞かれてなくても「お困りですか?」とやることあるのになんなんでしょうね。Jさんは富山を懐かしがって帰ってきたりしたようです。高校生の頃、仲良くしている同級生がうらやましかったです。

4.1年の時点で理系に行くと決めていました。朝永先生、湯川先生など文章が上手な研究者の本に影響を受けました。それでもあまりに理数系が上がらなくて(ブラスばかりしているから当たり前です)文転してみたことがあったくらいです。機会を見つけてはしつこく言っているのですが、文理というものがあるとすれば(知る範囲で外国の大学には区分けがないと聞いています)わたしの成績は当初文系で、国語と英語が得点源でした。そういう理系出身の翻訳者さんもたまにインタビュー読んでるといます。3年夏休みのコンサートの後、母校の高校としては初出場のコンクールで忙殺され、なんと北陸大会に出場が決まったところで優秀な後輩にバトンタッチしました。勉強しないと、うちは国立しか受けられないし。家にいるとサボるので、毎日学校に行って同級生と勉強しました。しぶとくやっていくうちに、理数系の成績が上がってきました。

そんなわけで、落ちこぼれだったため理系だすごいと言われるのはなんだか苦手です。

(前職の家庭教師・塾教師のとき思ったのですが、理数系の科目でつまづくところは昔のわたしと同じくみんな同じで、そこを丁寧につぶしていけばいい。英語もそういうところあるんじゃないでしょうか。この仕事に就いてから英語で苦労していることはまた書きます)

理学部の志望を一巡し、物理の成績が足りなくて天文系と物理系を諦めました。物理は決して嫌いではなく、物理のほうが最近になるまで振り向いてくれませんでした。意地張って共通一次(最後の年でした)で取りましたが、40過ぎてまた勉強し出すとは自分でも意外でした。生物は履修させてもらえなかったけど専攻を希望したことがあります。結局、担任が天文好きの化学の先生で、「2番目に好きなことを仕事にする」との言葉に影響されました。大人になってからお聞きすると、天文は昼夜逆転で観測して体を壊した人を沢山知っているとおっしゃっていました。今ではリモートでも観測できるようです。好きなことを仕事にすると好きでなくなってしまう恐れがありますよね。

化学は薬学部、工学部、農学部、理学部と広い範囲で学べるので、農学部と工学部を第1、2志望にし、遠方の農学部は合格後辞退しました。

化学を志したきっかけはここにあります(リンク)。みんなこんな綺麗な反応ではなく、臭かったり汚かったりするものもあるのですが……。そして、後者の方が忘れられなかったりします。

5.はFMラジオで昔で言う「エアチェック」をしていました。ビートルズ、サイモン&ガーファンクルなどでした。1曲特に好きだったのを貼っておきます。他に”We are all alone”など、ブラスバンドで演奏した洋楽もありました。

 

6.映画は中学生の時から同級生とたまに見に行っていましたが、高校は街の中心に行くには便利な立地でした。今は休止中で、そのことを何回か書いた「フォルツァ」という映画館があり、その前身の映画館で確か試写会に当たってひとりで見たのがいきなり『プラトーン』でした。確か高2の頃で、すごいショックを受けたのを覚えています。外国語に触れる機会がひとつ増えました。ちなみにオリバー・ストーン監督はもうすぐ富山に来ます。

 


 

理系大学生のわたしと英語

  1. 英語の授業に失望し、中国語とドイツ語を取る。古代ギリシャ語も少し
  2. 英検準1級合格
  3. TOEICも受けた(初回700点台くらい?)
  4. イギリスの語学学校3週間、なんとバングラデシュ航空で
  5. スペイン語との出会い、レストランでのバイト
  6. 本物の通訳さんに出会う
  7. 学部生でいる英語
  8. 大学院は東京に出る!
  9. 大学4年でアカハラを受けロックに助けられる、将来の予定狂いまくる

 

1.はですね、高校の英語のレベルが高かったせいで、教養課程(当時はそういう期間があり、うちの大学では1年半様々な教科を学ぶ)に入ったら退屈すぎたんです。無謀ですが英語には出なくなりました。「ヨシダさんはどうした」と同級生が言ってたとか。ちゃんと授業に出ていた訳ではないけど、中国語で中国の映画を見せてもらったり、ピンインの発音が楽しかったり、ドイツ語のリーダーは傷病兵が主人公で気が滅入るストーリーでしたが、考えてみれば「格変化」を初めて見たのはあの授業でした。大学にはラテン語・(古代)ギリシャ語で1セットの授業があって先生が「仏」と言われていました。1学期だけギリシャ語履修してみました。先生が「ギリシャ語を学んでいいことは、ギリシャに行ってそこら中あの文字でも戸惑わないで済むこと」みたいに言っていて面白かったです。今でもあやふやな理解の量子力学ですが、あれにもギリシャ語の習字はいいと思います。ノート取るときとか。

言語学のゼミというのも興味あって取っていました。昭和天皇が亡くなる前にご病気報道が毎日のようにあって、病状を説明する新聞の敬語が崩壊しているのを用例拾って授業で報告していました。今思うと、何であんなプライベートなこと報道してたんでしょうね。

2.は大学1年の時で、やはり記憶にはありません。今の英検とは大分違うと思うし。国連英検B級も同じくらいの時期に受けたんですけど、面接で「ビートルズ好きです」と言ったら「どのアルバム?」と聞かれ、「買えなくてラジオで聞いている」というのが出てこなくて終了となりました。

3.このころTOEIC今のように有名じゃなかったんですよね。勉強仲間もいなかったから、NHKテキストにでも情報があって知ったのでは。1回受けたらたしか700点台でした。20代のうちに何回か受けていて、多分2、3回で800点台に上がりました。問題集は最初のうちは存在した覚えがないです。富山からは21世紀に入っても金沢まで行く必要あったかもしれません。地方の方はご存知かと思いますが、例えば英検だと1級の2次は大都市でしか受けられません。

4.これについては以前書いたことがあります(2005年、リンク)。専門課程に上がる前に行っておきたく、本ちゃんの留学をその後してみたかったのです。行き帰りは1人だったので、行きにトランジットのバンコクで、まっとうなホテルの前にいたタクシーの運ちゃんにホテルに連れ込まれそうになり交渉して我慢してもらい、男の人怖いとなってしまいました。帰りはヒースローで、「キミは荷物少ないからこの荷物キミのにしてくれない」と複数人から言われ、後で知ったのですがヤクの運び屋にされそうになっていたり。ちゃんと断りましたが。

わたしのは短すぎて留学のうちに入らないと思います。ペーパーの結果よくしゃべるヨーロッパ人たちの少人数クラス(スイス人2人、ドイツ人1人、フランス人2人、日本人わたし入れて2人)に入れられ、リスニングとスピーキングで特に苦労しました。学校の先生は綺麗に発音しても、街の中で「もっとゆっくり喋ってください」が上がってしまい言えないので、相手はそのままのスピードで繰り返し、「だめだお手上げ」ポーズをするのです。学校はフィリピン辺りの学校が増えたせいなのかどうやら潰れてしまったようです。残念。担当の先生は3人ほどいて、そのうち担任の先生が”Hiroko is motivated” “It’s interesting to see your spell mistakes” みたいに講評を書いてくれたのが心に残っています。

「言いたいことはブロークンでいいから主張してみる」とか「愛想も大事(そういうタイプの子が友達多かったりした)」とか「度胸も大事」、いろいろ思ったことがありました。工学部生のわたしに興味を持ってくれた隣の席のフランス人の男の子と工学の話できればよかったんですけど、「まだ専門的には学んでいない」というのが出てきませんでした。もうちょっと学校にいられたら何かブレークスルーがあったかもしれません。

5.4.の学校で、南の人たちなのかとても明るいイタリア人たち多数と、数は劣るけど口数少なめでミステリアスなスペイン人多少が目立っていて、雰囲気がステキだなあと思ったスペイン人女性がいました。多分年は同年代で、すれ違ったりすると”Hi”と言ってくれるんだけど、きれいな人だったせいか話しかけられずジレンマでした。帰国してNHKのラジオスペイン語をしばらく聞きました。当時はスペイン国営ラジオのアナウンサー経験ある方が発音していたので、当時も今も思うんですがラテン語系の言葉は歌っているようです。イタリア人の作ったイタメシも食べました(後にイタリアにも興味を持つ)。

その後、今の金沢21世紀美術館の近くにあるスペイン料理レストランでバイトを始め、卒論が忙しくなる頃辞めましたが、FBで見つけてもらいまだ交流があります。昔良く運んでいたパエリア食べに行きたいです。

6.バイト先の近所に外国人向けのフリーペーパー作っている通訳さんがいて、のちに学校もやっていたようです(体験レッスンに出たことがある)。フリーペーパーのために「外国人がナスの天ぷら食べて『カブトムシみたい』 とか感想を言う」みたいな異文化体験の文章を頼まれて訳しました。平易なものでしたが誉められて、それがわたしと翻訳との初めての接触です。英語圏などの人がその方の家に出入りしていました。今だと外国人観光客が北陸にすごく増えましたね。

7.理系は英語が要らないかと言ったらそうでもなく、卒業研究に必要な論文は先生から渡してもらったりしますけど、すべて英語でした(複数)。原文講読(輪講と言っていたと思います)もあって、順番に論文だったか本だったかを読むのです。ただ、学部はまだ甘かったです。院に行って英語のレベルもすごく上がりました。

8.大学を地元近くにしたときから、希望の(企業)研究者になるんだったら院卒でなくては→できたら上京(なんとなく)みたいに考えていて、成績がよければ夢ではないと分かってからは親に根回しし、きつい学科だったのでアパートでも勉強していました。

9.アカハラは別のエントリで散々書いたので手短にします。大学4年で心を病んでしまいました。やっと這いずるように卒業研究に戻って実験をし、真っ赤に添削されて、自分の書いた文章の原形をなくした卒論が先生から戻り、何回か行き来して、卒業式の3日前にようやく提出できました。そのずっと前に、準学生みたいな研究生として東京の大学で置いてもらえることが決まっていたのです。卒業してから犀川で桜を眺め、翌月上京しました。

何とか朝から大学に行くに当たって、ヴァン・ヘイレン、当時大流行りだったニルヴァーナ、X JAPANなどうるさいロックとドリンク剤が気付け薬になってくれました。そういやベース(ギター)も3年生の時?買ったのでした。ブラスバンドはとっくに燃え尽きていました。ああいうしごきみたいのはよくないですね。英語などの勉強でも同じことです。

 


 

ちょうどその頃バブルが崩壊した境目でした。1年かそこらで状況が様変わりした、境目にいた人たちのことはあまり知られていません。院に進んだ人は、一部の優秀な人を除き貧乏くじを引いたようなものです。心を病んだこと、バブルが崩壊したこと、いろいろあって人生設計は大きく崩れました(割と最近ではリーマンショックで仕事激減したという翻訳者さんのお話を何人かから聞いています)。それでも何とか勉強は続けたよというのが次回の話です。

~次回に続く~

 

 

わたしのしてきた英語の勉強(のようなもの)その1・小中学校で

ヨシダヒロコです。

Büro Tisch mit Kaffee, Pflanze, Brille und Handy

Credit: Adobe Stock

現在翻訳者の仕事をお休み中で、その辺について思うことはまた書きます。まあ自分に自信を多少失っていることは確かです。このエントリは3部作で、読者の方は必ずしも翻訳者の仕事や経歴についてよくご存知ではないかもと思うようになっていたところに、歴の長いツイ友に「翻訳者がどういう勉強してきたか読みたい」と言われたのが後押しして、書こうかなと。

長年書いてるブログですけど、訳あって最初はタイトルに単なるフリーランサーと名乗ってました。タイトルをトランスレーターと変えてからしばらくして、自己紹介はAbout、経歴や仕事がらみはWorksにあるのですけど、RSSついてないしそれほど読まれてません。今度から更新したらブログに一言入れます。今回シリーズのはWorksの経歴のうち語学学習(主に英語)を詳しく書いたものになります。


小学生のわたしと外国語

小学校の時のわたしは近所の草原でよく遊んで、虫捕ったり花摘んだりして、夏休みの宿題の計画性はありませんでした。親に絵を描かせた覚えもあります。自由研究や作文(読書感想文、人権の作文、詩)で誉めてもらったり評価してもらったりしました。でも計画性がないので8/31とかにジタバタしたり、共同研究者(笑)のお母さんにもご迷惑かけたかもしれません。自由研究のテーマは「オジギソウはなぜさわると葉をたたむ」とか、ひと夏アリやカナヘビを観察したり飼ったり、生物系でした。

英語や外国に関連して小学校時代は、

  1. 楽器を始めて洋楽のメロディーなどを演奏
  2. 『赤毛のアン』『ニルスのふしぎな旅』『太陽の子エステバン』などに影響される
  3. 『赤毛のアン』は村岡花子訳で全10冊読んだ
  4. 『ニルス』にはまりスウェーデンの人と話がしたいと思う、英語勉強したい

1.については共同研究者?の真似してフルートを始めたのが小5終わり頃でした。うちはどこにでもある普通の自営で、裕福ではありません。やりたかったピアノは買える余裕なかったのです。フルートは安いものなら10万しませんので粘りました(銀とか金とかあるので上は天井なし)。音楽に触れ自分で演奏し、最初のうちはビートルズの分かりやすい曲もあったのです。原曲を聞いたのは多分高校生だと思うけど、小学生の時の演奏した『オ・ブ・ラ・ディ、オ・ブ・ラ・ダ』をヤマハのグレード試験で誉めてもらったのは、子供だったので嬉しかったです。以降、「洋楽」にずっと関わる中で相手国の文化に触れていくことになります。

これはポール・マッカートニー公式からで、2010年の演奏です。ビートルズのメンバーは全員歌えるんですが、この曲はポールがリードヴォーカルで、ジョンとジョージがバックヴォーカル、他にいろいろ複雑なことやったらしいと今調べました。ポールひとりで歌っても微笑ましい曲です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最近はJ-POPが優勢のようだけど、One OK Rockとか海外に影響受けたバンドも日本にありますね。

こんなツイートも去年ありました。

2、4.について、わたしが子供の頃は親が安心して見せられる児童文学のアニメが週末とかに入っていました。他には『フランダースの犬』(地元の人は「わたしらはそんな冷たくない」と言ってるらしい)、『母をたずねて三千里』、『小公女セーラ』とかいろいろでした。話はつくりものかもしれないけど、登場人物の名、地名、習慣とか見てると何となく覚えるかも。今の世界中のアニメファンが、日本のアニメで日本好きになったようなものです。高畑さんや宮崎さんが作ったアンも大好きでしたが、なぜかわたしは、悪ガキのニルスが魔法で小さくされ、ガチョウの背中に乗ってガンの群れとともにラップランドを目指すというラーゲルレーヴの『ニルスのふしぎな旅』でスウェーデンに興味を持ちました。

当時も英語教室はありましたがうちには敷居が高く、今考えれば基礎英語のフライングすればよかったんではと思いますが行けませんでした。海外文通は中学生の時実現しました。小学生のわたしは、中学に入ったら絶対英語勉強してやる!と思ってました。

ちなみに『エステバン』ですが、これは南米のアステカ・マヤ文明などにまつわる話で、分かる人が見ると設定はいい加減だそうです。知人に影響受けた人複数知ってて、わたしが後にスペイン語やりたいと思った無意識のうちの理由になっているかもしれません。どうしても南米(といっても広いけど)に憧れがあります。刷り込みとしか思えません。

 


中学生のわたしと外国語

中学生の時に起きたこと

  1. 基礎英語を毎日聞いたためか、英語は他に何もしなくてよかったに近い
  2. 念願の海外文通をひとつ下のスウェーデン人の女の子と開始
  3. 英検5級、4級取得
  4. MTVという今はYouTubeにあるようなMVが夜遅くのTVで沢山流れるようになり(多分日本初)、洋楽が流行る。すごい影響される。

1.については、基礎英語は今もそうだけど6時台に始まるんですよね。お布団の中で眠い眠いと思いながら聞いていた覚えがあります。今のようにPCソフトで録音できたりCDもないです。LPレコード初めて買ったのが中2ですから。いや年がばれますね。今のように週3でなく週6だったので、なるたけ聞き落とさないように頑張っていた覚えがあります。後に家庭教師になったとき全員に勧めたんですが、なかなか難しいですね。

(NHKラジオは、今年になって30代くらいからかなりのブランクを経て再開しました。TVやラジオで他国語含め勉強している翻訳者はたまに聞きます)

基礎英語で忘れられないのは、土曜に入るキャロライン洋子さんの童謡。マザーグースなどで、何と探したらYouTubeにありました。消されるかもだけど、好きな曲を2つくらい貼っておきます。マザーグースはナンセンスなところが良くて、洋楽やいろんなところに出てきます。翻訳やるなら知っておいた方がよいです。最近だともう知っている人あまりいないかもですが、マンガ『スケバン刑事』の故・和田慎二先生も引用してました。作品名忘れてたけど『左の眼の悪霊』らしいです。

ダウンロードしたっきりですが青空文庫版でこんなのがあります。

“Three Little Kittens”は初めて聞いた当時口が回らなくて歌えなかったと思います。歌詞の解釈も教えてもらい、土曜は楽しみでした。そんなこんなで学校の授業も楽しかったというか、NHKの方が先に進んでいたようなので。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

小学生の時に、上に出てきてた幼なじみのうちでマザーグースの絵本を見たらショックだったのが『6ペンスのうたをうたおう』でした。オーブンから出てきたパイから鳥が飛んで行ってて、「丸ごと焼いたの?」「死んでるのに飛んだの?」と怖かったです。イギリス人知人にさっき聞いてみたら多分こういうことだと言ってました(2つめの動画)。中世の習慣でそういうものがあり、シェフがパイの皮の中に生きた鳥を入れて飛ばし、別に作ったパイでお客をもてなすらしいのです。

 

 

 

 

 

 

 

2.については、今だとメル友とかSNSの友達でしょうけど、最初作るなら英語が第二言語の国の人が良いと本で読んで、紹介団体に紹介してもらいました。先方もお互いいい年になりましたが、今でも年に2回カードが行き交い、娘さんも入れてFB友達でもあります。残念ながらまだ会ったことはありません。お互いの言葉が「こんにちは」程度なら分かるようになってきました。

3.については何となくで記憶にはないです。

4.については、中3の時に初めて買った洋楽アルバムにこの曲が入っていたのですが、テンポもそこそこゆっくりしてて、歌詞カードを見てうーんとなっていました。特に分からない単語が”circumstance”でした。今聞くと”whether”も既に出てきています。これ聞いて15年後にはもうジャパンツアーがなくなっていて、ロンドン旅行の時に生で聴きました。

マドンナとかヴァン・ヘイレンとかプリンスとか、いろんなミュージシャンを中学生終わりの時期に一気に知ることになりました。歌を聞いたり歌ったりするとリズムについては多少覚えられるのではないかなと思います。リスニングについてはその3の成人以降になると思いますが、FM音楽ラジオを聞き倒し、少し変わった学習のしかたをしています。

 

 

 

英語というより音楽の話ばっかりだったかもしれません。本当にそうで、高校3年までブラス漬け、一応クラシックのフルートのレッスンもやってました。音大がお金がかかるものだと知らなかったら、大胆にもそう考えたかもしれません。でも『のだめ』とか読むと切ないですね。

小・中は近くの公立、高も公立です。そもそも富山にはお受験がほぼ存在しないのですが、高校は「自由な校風」という先輩の言葉に惹かれて英語に力を入れた進学校に行きました。中学校の時は特に年齢的なものもあり不安定で、まずいことにわたしは小学校半ばから大学の半分過ぎるまで自己主張が下手でした。中学の時に孤立してしんどいところを助けてくれたのは部活や趣味だったし、自己主張ができるようになった理由は、恐らくいろんな目にあっているうちに(仕事含む)「ここでなんか言わないと」みたいなことが多くてそうなったのかも、と。はっきりものを言うことが多い外国語を学んでいたことも理由としてあると思います。

~次に続く~

2018年春『入門ビジネス英語』『実践ビジネス英語』3週間目&久しぶりの英会話。

ヨシダヒロコです。

2018-04-21 15_Fotor

Worksのページの特に勉強歴をすっきりさせました。翻訳歴の更新もあります。

当地では、遅い春がやっと来た後、寒暖差が激しく何を着ていいか分からず、身体の中枢の温度が狂っているような感じが続いていました。調子も上がらなかったのがやっと一定の気温になってきたかと思ったら。今日(4/21)はなんと最高気温が29℃ほど、明日は27℃だそうです。

庭で花をいじったり、上のような写真を撮りましたが暑くてやってられないです。写真は今日のお題である英語テキストの色、赤にしました。八重咲きのアネモネらしいです。

NHKラジオのレベルチェックで危機感を持ち、ラジオ講座を聴くことに決めました。B1と言われたんですが、ビジネス英語をB1、C1両方聴くことにしました。NHKラジオ講座には中学生~社会人の初めくらい?にお世話になりましたがご無沙汰でした。最後に聴いたのは確か杉田先生の『やさしいビジネス英語』だったはずで、わたしも『実践ビジネス英語』でいうところの「ブーメラン」(一度やめた会社に帰ってくる社員)なのです。

4月からのNHKラジオ語学講座(英語)あと趣味のテキストなど。

『入門ビジネス英語』は知らない間にできていて、NHK出版HPで立ち読みができたのでついでにと。今は両講座合わせて週5になっています。

以下、感想。

  • 『入門ビジネス英語』はシンプルでもとっさに出てこない英語らしい言い回しがときどきあり、線を引いたりしています。技術系でもビジネス寄りの英訳に使えそうなので、Excelにまとめると良さそう。
  • もう1つ、このエントリ(コーディネーターさんの立場に立つ。)と関連するような「仕事を円滑に進めるため」の言い回し、例えば相手のことを誉めたり、ポジティブに話をしたり、話を引き出したりなどのビニエットがあります。メールのやり取りでも参考になるかも。
  • 『実践ビジネス英語』は『入門』に比べるとさすがにシャドウイングは口が回らないですね。わたしは話すとき言語に限らず「あー」とか「えー」とか口ごもることがあるので、滑らかに話す練習になりそうです。
  • 内容も相変わらず濃いです。

連休はどういう放送予定になるか分かりません。とりあえず「ラジ録」で予約録音していて、サポートが「今まで聞いたことがない」というフリーズなどのエラーが出ていたんですけど、再インストールと設定変えて直ったかも。PC古いですし。予約録音にはAIや平安貴族などカルチャーラジオもあります。

金曜日に、もう1年ぶりになる隣の市のオデッセイ英会話に行ってきました。事務担当も身内という家族経営で、先生が変わり「マークになる」と言われていたんですが「どのマーク?」と思っていたら良く知っている弟のマークでした。プライベートレッスンのフリートークです。マークの家族が増えた話などわいわいと話し、1年間なかなか行けなかったんだけど”Sherlock”や”Prime Suspect”(第一容疑者)をできるだけ英語字幕で見ていることを伝えました。主な本格ミステリは皆イギリス本国でドラマ化されているそうです。スコットランドのリーバス警部ものやジーヴスもののドラマ化については知らなかったです。

あと、『英国一家、日本を食べる』の話もしました。あの家族の坊やたちがティーンエイジャーになって、また家族で日本に「食べに」きたと。前の本共々英語で読めたら。マークはアニメを1回見たことがあるそうです。『英国一家』訳本は文庫本になりました。そのうち欲しいDVDとともに原書をAmazon.co.ukで買いたいな(Amazon.co.jpでは原書が品薄なのか定価で買えないので)。

 

スペイン語・イタリア語はTVとラジオ応用編です。ずいぶん昔のログを見に来る方もいるし、別発言にします。

4月からのNHKラジオ語学講座(英語)あと趣味のテキストなど。

ヨシダヒロコです。

2018-03-28 00_Fotor

ここ2年ほどはTVのスペイン語・イタリア語で映像で分かることを見ていました。BSなどでこれらの国の紀行・料理なども見てました。ドイツ語は流すだけ、今期の最後の方はプロヴァンスなど南の方に興味があるのでフランス語も眺めていました。

春からですが、TVの再放送はテキストも買ってそのまま見ます(その前のシリーズ読めてません(^_^;))。英語ラジオ講座のレベルチェックをたまたまやったら、なんとCEFRのレベルでB1が出たのでこれはまずいとテキスト買いました。ビジネス英語両方です。

気が向いたときにやっていた、”Sherlock”を英語版で買って英語字幕で見てたのは結構行ける気がするので、他の映画やドラマでもやってみたいです。2カ国語で録り溜めたBSドラマが結構ありますし。洋楽もまた聴きたいなー。

趣味的なかばお勉強としては、オーロラ研究者、片岡龍峰先生の「カルチャーラジオ科学と人間」『太陽フレアと宇宙災害』があり、これは1000円位するだけあってもう書籍ですね。5回くらいまでらじる☆らじるの聞き逃しを「ラジ録11」で録音しながら聞いてます。オーロラを見に行くときこうしたらいいとアドバイスがとても役に立ちそうです(でも、いつ?)。今5回からの放送が聞き逃しであって、あと2回放送が残ってます。

「私と昭和史」というシリーズもカルチャーラジオにあって、湯川秀樹先生の番組を録音しました(逃したのでようつべで)。こっちは公開終わっているので、片岡先生のもようつべ探してすぐに録音するしかないような気がします。前にあったの消えちゃったようですけど……。1回間違えて.flvで録っていたのにさっき気がついて、泡くってオンラインで.mp3に変換しました。

片岡先生はあと2、3冊本書いてらして、存じ上げているこの分野の科学者に宮原ひろ子さんもいらっしゃいます。

ラジ録はこんなの。放送大学でラジオ講座を取る予定があったので。前もっていたVer.2からだいぶ進んでいて、YouTubeをすぐに.mp3にしてくれますし、らじる☆らじるの聞き逃しにα版で対応してくれたらもっと嬉しいです。シェアウェアです。画面の色はもうちょっとグレーです。

https://pcshop.vector.co.jp/service/catalogue/radiroku/index.php

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趣味は『趣味の園芸』、サンドイッチとスープが美味しそうだった『きょうの料理ビギナーズ』(放送は5分間)。そして、去年だったかに放送していた筋トレの番組を春からまた放送するので、興味のある方はどうぞ。わたしはAYAさんのパートで腕立てがもっとできるようになりたいのですが、何もなく疲れているか仕事でぐったりするかで、運動できるときは簡単にヨガのポーズ取って終わってしまうことが多いです。前よりは筋トレできるようになりましたけどね。

いつの間にかKindleに対応しています。ものによってはいいかもしれません。NHK出版は、毎月のテキスト定期購読を毎月払うことができるようになったそうで、立ち読みもできますし今回はそちらで注文しました。

 

『技術系英文ライティング教本』読了。

ヨシダヒロコです。

これは今年の冬に買った本ですが、もっと前から翻訳や英語に関する本が積んであります。最近少しずつ片付いていっており、去年調子がもっと良くてこの内容を知ることができたら良かったのに、と思います。この本の次に読んでいる本は、言葉について考えることが多く参考になります。

今まで割と「基礎知識・背景知識を仕入れてナンボ」みたいなスタンスでいましたが、一応こういう本も買っていました。

英訳については前にこんな本を読みましたが、もう2年前ですね。こちらはもっと一般的な内容ですけど、英訳本初めてとしてはちょうどよかったです。

『英語「なるほど!」ライティング 通じる英文への15ステップ』読了。

『技術系英文~』は工業英検を受ける人が使うらしいですが、技術英文をCorrect&Clear&Conciseに書く方法、ライティングの基本のあと、文法には140pくらい割いてあり、各章の後にはワンセンテンスの練習問題が4、5題あります。わたしはスペル思い浮かべながら口でブツブツ言ったりしてましたが、書いたほうがいいでしょうね。最後に応用として、技術論文、プロポーザル、マニュアル、仕様書、技術報告書、特許明細書についてコツが書いてあります。スキルアップコラムもあり「懸垂分詞」と言われるコンマの前後で主語が違ってしまうありがちな間違いが特に印象的でした。わたしはよくやっていたはずなので気をつけないと。

練習問題は理工系から出ていましたが、ショックだったのは昔慣れ親しんだ「三角フラスコ」が英語で出てこなかったことです。

同業の友人が「英訳は和訳の練習になる」と言ってましたが、確かにそうかもしれません。

冠詞がとても弱いので何か本を見繕うのと、英訳についてはとりあえずこれを積ん読が終わったら、もしくは並行して読むつもりです。立ち読みしたら、一般の方でも行けそうなシンプルな感じでした。面白いことに伊語、西語でもわたしの基本的な弱点はだいたい同じです。上の本もこちらも両方長いことAmazonベストセラーです。下の本は近くの紀伊國屋で長々目立つところに置いてあります。

2015年ここまでの仕事や勉強。

ヨシダヒロコです。

一昨日くらいに納品した化粧品の仕事は、もう来年の夏の製品でした。

今年は春頃から取引先開拓して、国内のエージェントはがらっと変わりました。前にいい加減なイギリスを本拠地とする会社から頂いていたのとは額が雲泥の差(もらってない)ですが、フィードバックをくれるところや案件が面白いところがあり、これで量がこればなあとか、登録があるところから声がかかればなあと思っています。トライアルなしで登録してくれる会社は、その後仕事に結びつきにくい気がします。データベースにいる人数が多いんだから当たり前な気もしますが。

2月にITを主に扱うエージェントから撤退しました。そこでは「あなたの欠点は分野に関わらないのではないか」と言われていたのですが、その後技術系(化学が絡んだ機械、成分情報、化粧品英訳、大学の研究内容のプレスリリースなど)やっていると、英訳はともかく、和訳ではめちゃめちゃ直されたということは一部を除いてなかったのです。やっぱりITが向いてなかったのかも。和訳では他に、語彙が難解で世界観が独特なものは向いてなかったです。英訳は普通とちょっと違う翻訳会社ですが、化粧品用語に弱いことが分かってきました。毎日お化粧しないからかな。

夏にも新規開拓をして、障害者向け募集で(ここだけ読む人のために書いておくと、該当者です)嫌な思いをしたり、付き合いの浅いイギリスのエージェントのチェック案件で、納品後にクレームが付いて報酬が0になって登録も解除したり、いろいろありました。半分直受けというような案件ももらいましたが、条件がきっちりしてくれなくてストレスがたまりました。契約書を交わすべきだったと最近知りました。トライアルの結果はあと2社待ってます。

医薬系では、ちょうど解剖学系の本を読んだり買った後にそういう案件が来たのですが、案件が細かすぎて基礎の本は役に立たず、夏にフジロックに行ったとき、ミュージシャンが骨折した顛末を話してくれて、そのときのX線写真の記憶が助けになったり。本当に翻訳って何が役に立つか分かりません。話の筋が自分でよく分かっていて訳せるときは、訳していても気持ちがいいし大きく赤が入ることも少ないような気がします(用語やケアレスミスはもちろん気をつけるとして)。

プレスリリースでは研究者たちの名前の訳があったのですが、既訳がないものはForvoとか使って裏を取り、その研究は通信社で配信されたので、表記のある名前は裏を取らなかったら間違っていたらしいとか。今度からあの通信社信用しないでおこうかな、と思ってます(わたしの手落ちですが)。

去年の年末に「来年は体調良く」と願ったのですが、今年の嘘みたいな暑さにはなすすべがなかったです。お天道さんのことはほんとどうしようもない。エアコンかけて外には出てないのですが、自律神経がおかしくなったのか、体調を整える漢方にお世話になりっぱなしで。ほんの最近ほとんどその薬が要らなくなったところです。2人の主治医が「なんでしょうねー」という状態でした。旅番組とかぼーっと見てるだけで、本とかロクに読めない状態がだいたい2ヶ月ほどあったでしょうか。

英会話の勉強も、スペイン語の試験勉強も、来年のイタリア語の試験勉強も、あまり無理せずいますがエンジンかからないのがはがゆくもあります。モチベーション以前に体調が整わないときは、映画とかドラマでとりあえず触れておく、という方法を採っています。

外国語と関係ない専攻だったので、イタリア語3級が取れて履歴書に書けるのは嬉しく、11月末にDELEB1を受けますが、前のボロボロだったのよりはマシな成績で、と思っています。アウトプット系が特にダメそうですが、完全に元気になるまでは休み休みと思っています。

それにリラックスすることも大事と思い、仕事が途絶えた夏に「勉強しなきゃ」と根を詰めて疲れるよりはと、『のだめカンタービレ』を全部読み直したら色々発見があったし楽になれました(千秋を演じた玉木宏は、今朝ドラで「アホぼん」を熱演中ですし)。普通の本は飽和気味なので、写真集とか目を付けています。知っている翻訳者さんが病気になったりして、やはりストレスの管理って大事だなあと。

あと今年も2ヶ月ですが、大事に過ごしたいと思います。

写真は、富山県内でシリーズになっているらしいJRのポスター。9月に撮ったものですが、こちらももう紅葉です。左が雨晴海岸、右が五箇山です。

2015-09-12 16.07.24