翻訳レートと低レート翻訳会社とぐだぐだ。

ヨシダヒロコです。

キンモクセイの花

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現在病気療養していますが、ちょっと書いておきたくてこの話を書いています。

レートとは最近では外国語1単語(外国語→日本語翻訳の場合)あたりの単価、前は仕上がった原稿の日本語文字数で数えてたこともあったようですが、わたしの場合仕上がりでカウントされた経験はあまりありません。日本語から外国語に訳す場合は日本語原稿1文字当たりになります。

雑誌とか見るとレートで一番多いのは英日が9~10円、日英が5~6円(通訳翻訳ジャーナル 2017年夏号「通訳者・翻訳者のリアルとホンネ 収入と働き方」のアンケートより)。それより上や下もいますが、英日で20円台、30円台のレートの人も見聞きしたことあります。恐らく間に翻訳会社通してないんだと思います。皆が気になるのがこの「レート」です。

直接取引は何回か経験はあり、わたしの技量が足りなかったケースは仕方ないとして、外国人研修生向けのマニュアルという仕事がありました(英訳)。レートの言い値も通ったのですが、間に立ってくれた同業者に「PO(発注書)お願いします」というと、そんなもの出したことなかったらしくこれ大丈夫かと不安になりました。クライアントに特殊な用語を聞いても答えてくれないし。後になって研修生制度について知り、なるほどと合点がいきました。結局、続いた取引はありません。

こういう例外の他には、普通に翻訳会社のトライアルを受けて受かったら交渉してとなるんですけど、受かった後でふたを開けてレートの安さにびっくりということもあり得ます(レート値上げ交渉でも似たようなことが起こることがあります)。これから書きますが、メディカルも例外ではありません。紹介サイトで最低7円くらいからと書いていたメディカル会社/メディカル部門を持つ会社の翻訳者募集案件は2社見たことあります(トライアルの成績次第で9円くらいになることもある)。わたしは履歴書・職務経歴書を1つにしていますが、ミスマッチを避けるためそこに希望レートを書いています。これが絶対というのではなく、交渉に応じますと書き加えて。トライアル受ける前に聞くのもいいと思います。

受かった後でも、提示されたレートにもう一声と言ったら通ったけど、全く仕事は来なかったということはあります。1円レートが違うと、例えば1万ワードの和訳だと単純計算で1万円変わってくるんですが、薄利多売に甘んじるか、高品質を狙ってレートも高く目指すか。わたしは後者を狙って息切れしてしまいました。

こないだ心が折れた話をしましたが、その少し前のこと、Aで始まる超有名なメディカル専門の翻訳会社に応募しようかなと思ったら、受付の人がわたしの応募書類を見て「こちらのスターティングレートは6円台後半(本当ははっきりした数字が入る)なんです」と言い、何だそれは!と応募を取り下げたことがありました。たしかもうトライアルの問題まで届いてたはずです。

2000年代半ばくらいにBRICs(Brazil, Russia, India, China)と言われていた新興国がありました。中国・インドは海外エージェントを探した場合遭遇することが多く、国自体は発展してるのかもしれないけどレートが日本の半分いやもっと安かったり、仕事の進め方も「仕事あるから無料サンプル訳して」「合格したら返事するね」→(音沙汰なし)とか、今でもメール出さないでくれと言ったし返事もしてないのに、安い早い、しかも多い仕事が来たりします。

さっきのメディカル翻訳会社ですけど、まさか日本でBRICsを見るとは思いませんでした。いや、仕事した訳ではないから仕事の進め方までは知らないけど。

わたしが「ぽっきり折れる」まで色々あったというのは、受注が減るとか新規開拓でトライアル(特に英訳)にあまり受からないとかの他に、こうした低レートの会社の姿勢、そしてここに限らず翻訳者を安く使おうとする翻訳会社が大手の多くなのではないかということにほんとうに疲れたからもあります。大手ではなかったですけど、ビジネスパートナーと言いながら実際そうではなかった会社は経験があります。こういうこと、特に会社の実名とレートはオフや勉強会の飲み会、個人的なやり取りで交換されるのため「表」で書く人は少ないですし、翻訳者をやめるかもしれないわたしなら本当のことは書きやすかろうと思って書いています。

これまでに勉強を色々しました。物理に関しては全くの興味からでしたが(今後も勉強します)、レーザー関係など仕事につながった経験もあります。量子力学の単位も取りました。生物→分子生物学は高校レベルから3年ほどかけて独学でやったし、英語や翻訳に関しても県外までセミナーに行くことがありました。そういう努力や労力は何だったんだろうなと思っているところです。もちろん何もかも無駄だったとは考えていませんが、あれだけ頑張ったことは本当に何だったんでしょうね。

病気その他による不調がこれだけ続くのは珍しいですが、昨日の診察では最低来年には軽くずれ込むと思います。良くなれば戻れるかという簡単な問題ではないようです。

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翻訳フィードバックで心が折れた話。

ヨシダヒロコです。

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なんでわたしが翻訳できなくなったか、書く書くと言いながら時間が経ってしまいました。今年はなんと4ヶ月も休養していて、何回もどう書くか考え考え、ずっと迷っていました。

心が折れた直接の契機はトライアルのフィードバックでした。トライアルのフィードバックは経験上ない方が多いのですが、医療機器で「この翻訳では医療事故が起きる」と言われました。Bで始まるメディカル専門の会社です。これくらいやり返してもいいでしょう。友達が知って「間違えたところだけ言えばいいのにひどい」と怒ってくれ、自分の判断能力が落ちていて呆然としていたことに気づきました。もちろん、そこでポッキリ折れるまでにいろいろありました。

一般に、いくら翻訳者が語学ができてもフィードバックで直しばかりだったら落ち込みます。

わたしは30年来の精神科患者、多分15年以上の頭痛患者(緊張性・片頭痛で重め)、胃・十二指腸を壊したことは数知れず、今でも薬がないと生きていけません。これに関しては多分一生害はないですが、良性甲状腺結節(結構皆さんにもあるかも)の経過観察中でもあります。

以前英語の勉強の仕方について長々と書きましたが、本筋を通すために省いたことがあります。なるたけ死なないように死なないようにしんどいことに対処し、悪影響のあるものは断ち切り穏やかに過ごせるように努力してきたこと。

エージェントは何も知らなかったのでしょうけど、こんなバリバリの患者に対し、「医療事故の可能性」はショック過ぎました。言われなくてもよーく知ってますし。

それに、アカハラ、モラハラ(バイト先など)、DVなど、しばしば言ってる方は気づかない言葉の暴力性に悩んできたわたしに、翻訳業界でもさまざまな問題が起こりました。何回か書いているように、翻訳に関わる人は必ず言葉に繊細な訳ではありません。他の経験からも言えます。

フィードバックに関しては、数年前に専属として雇われたある翻訳会社で、真っ赤になって返ってくる原稿の何をどうしていいのか分かりませんでした。社長さんは忙しくてほぼ答えてくれないので参り、主治医に心境の経過を電話報告し続けました。半年後「消えたい」と言ったところで辞めることを薦められました。ちなみに、他の登録者も大なり小なり悩んではいたようです。

その次に割と簡単に登録になった会社では、例えば日本語教師歴がある人から「申し送り」は違う、「コメント」だと言われ、ずいぶん育ててもらいましたがものの言い方にグサッとくるところがあり(フレンドリーな人でもあったので混乱)契約解除しました。

わたしも特に化学((M)SDSが多い)などのチェック仕事してて、翻訳者が全く化学を知らないことに気づいたりしたときはきついコメント入れてたかもしれないな、と振り返っています。この4ヶ月間返す返す。

今後どうするかいろいろ考えてますけど、もし場所を変えてもブログは続けます。

さっき仲良くさせてもらっている同業者さんに「やめてもいい、まずは生きること」と励ましてもらいました。それに関しては、まだ休みが足りないようです。

わたしのしてきた英語の勉強(のようなもの)その4(終)・離婚し体調調整しつつ現在まで、今は大学生

ヨシダヒロコです。

その1  その2 その3 に続く

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亡きうちの猫です。削除したエントリより。

言葉とは怖いものだ、と思うようになったのは実は最近です。今ではアカハラとかモラハラとか言われていても、当時はその名前で知られていなかったものには過去非常に苦しめられました。両方とも結構歴史があります(モラハラはフランス人イルゴイエンヌ著の日本語訳が1999年刊)。

医学的なことを知らない人にPTSDですか?と聞かれることがありますが、主治医曰く「診断基準をわずかに充たしてないし、私がその場にいた訳ではないけど命に関わる目には遭っていない」との判断で「後遺症」が長々続いています。精神科の不思議なところは、医師が変わると診断が変わることがあることで、精神科訪問看護を受けていますが、「ニュースとかでなんでこれでPTSD?ってケースがありますよね」と看護師さんと話しています。

病的でなくとも、誰かが言った言葉が引っかかってとか悔しくてとか普通にあることでしょう。事態が重くなると、言った方は全く忘れて普通に毎日を送っているのに、言われた方は長く気にしてしまい、生活に支障を来してしまったりすることもあるでしょう。

わたしが傷つける側に回らない保証はないので気は付けていますが、どうやっても誤解までは防げず、難しいと思います。それくらい言葉は難しく、特にSNSは複雑な話に向いていません。うまく情報収集に使えば便利ですけどね。


広島時代のわたしと英語

これは、だいぶ前に書いた「翻訳者と結婚してうまくいかなかった場合の話(リンク)」の再謁に近いです。2年も持たず実家に帰りました。11.がちょうど14年前です。

  1. 元夫と机を並べてフリーとして翻訳(英日&まれに日英、技術系)
  2. 初めてTradosの画面を見る
  3. 家事との両立、体調の管理に苦労
  4. 同居人はとにかく仕事の邪魔だった
  5. 英語学校は紹介で大手ではないところ、少人数制
  6. スペイン語の学校にも通う
  7. スペイン語、イタリア語のNHK TV
  8. モラハラでいろんなことが回らなくなり、寝たり起きたりになる
  9. 1000ページの医学系書籍の仕事が全く進まない
  10. フェレットたちを連れていくこともできず、ポシェット1個でアパートから逃げ実家へ
  11. 後に調停を起こされ、離婚
  12. 病状は30年弱の病人生活で最悪だった
  13. 現在も広島に行くのはきつい

1.仕事は契約的に大丈夫だったのかどうか、手分けしてということもありました。向こうの方がキャリアが長いので、確かサポートしてもらうような話になっていて、助言もらったこともありましたね。

3.家事といってもごはん作るくらいでしたが(掃除・整頓が下手なので)、夕ご飯も具合悪いとか仕事とかある場合にこっちはギリギリまで何とか支度しようとし、相手はできないなら早く言ってくれと揉めました。ラーメンやつけ麺、お好み焼き(デリバリーの場合も)の外食になったこともちょくちょくありましたけど。今のわたしは1人分くらいならその辺探して何とかしますが、当時は新婚だったし頑張りたかったのですよね。それに、「冷蔵庫の中のもの」で作るのは慣れないと難しいです。結婚前に仕事のゴタゴタでかなり疲弊していたんですが結局広島で休めず、体調がだだ下がりになりました。以降に少し書きます。

4.同居人にこまこまと好みというかマイルールがあると疲れます。そういうのは傍から見ててなんでそうなのか理由が分からない場合があります。似た理由で東京時代引っ越ししました(当時の主治医もそれ分かります、と言ってた)。しかも今回同僚というか上司のような扱いでした。うちのことが仕事を侵食していく訳です。在宅だと息抜きが難しいです。事務所持つ人もいますけど。

5.今はない学校です。現在通っている富山県内の学校がここを参考にしたそうです。広島の学校はイギリス人とアメリカ人の担任が代わりばんこにいて、みんなが結構好きに喋る感じでした。

6.最初は少人数→プライベート。5.&6.はアパートから逃げたときに終了になりました。

8.& 9. 元夫紹介の翻訳会社からもらった大型案件ですが、後に心因性だろうと言われたしつこい頭痛が主で寝込んでしまうように。今もわたしは処方の頭痛薬飲んでいて、メンタルと頭痛はかなり相関関係あるそうです。仕事は富山に帰ったわたしが続行不能(受け入れ先に断られたけど主治医が「即入院」というような状態)になってバトンタッチしてもらいました。広島で何が起こっていたかは富山に帰って分かってきました。

12.広島ではフェレットオーナーさんとペット連れて集まったり、輸入食材屋・パン屋で買い物して楽しかったり、お好み焼きは出所にかかわらず好きだったしという思い出もあるのですけど、あれから1回勉強会で行きました。富山にいてもまだ苦しいことがあるので今後についてはどうなんですかね。


傷をいたわりつつ現在までのわたしと英語(専門知識も)

 

  1. 最初は翻訳者だと名乗らず、実名でブログを始める(場所は違うけど本ブログ。離婚翌年の2005年)
  2. 最初はProZ.com中心に受注、海外会社に泣かされる(未払い、詐欺など)。特にトラブル時、英文メールの書き方は大事。アメリアには出たり入ったり。
  3. Trados 2006よりTradosユーザーとなる。ここ数年で使えるツールは増えた
  4. 十何年前、うつ病でなく双極性障害と分かり、生活が大変なので障害年金を申請し通る
  5. 後に障害者手帳も取得
  6. 2010年くらいになってある海外会社から受注が増えたが、あまり良くない会社と分かって縁を切る(支払い遅れがあった)。その後は国内会社中心に開拓・受注したいのだけど模索中。
  7. イタリア語、スペイン語はNHKラジオ→Skypeレッスンや通信講座へ
  8. スペイン語は東京まで「通学」翻訳講座に行ったことも。難しかった
  9. イタリア語、スペイン語は中級くらいまでの検定に通り、もう少し頑張る予定
  10. 英語翻訳は東京、大阪、広島などの勉強会やセミナーに出かける(Facebook経由やJTFなどのメール情報で知ることが多い)
  11. 江川の英文法を全部読む
  12. 英訳を本で勉強(過去ログ その1 その2
  13. バイオをやさしい本から順番に読んで仕事もらうまで行く(翻訳祭2017の「ミニ講演会」で発表 その1 その2
  14. 2011年から隣の市で月1プライベート、フリートークの英会話教室に行っている
  15. 2016年に放送大学再入学
  16. NHKラジオを今年3言語で再開
  17. 以前「今日の勉強」的にあれやってこれやって、というのをSNSに書いていた。似たようなことをしている人は他にもいて、今だと「翻訳ストレッチ」が巷で流行中
  18. 現在休養中で、今後もこんなことはあるだろうがボチボチと
Dawn view of Toledo

Credit: Adobe Stock, いつか行ってみたい街はいろいろありますが、例えばスペインのトレドです。

2.いい加減払えとメールできつく書いても全く堪えない常習犯もいましたので、事前に会社の評判調べておくのも大事ですね。あと、まれに電話がかかってくることがあったり、こちらから支払い遅れを催促することがあるので、海外エージェントとの取引では会話できた方が良いです。今はどうか知りませんが、中国・インドが新興国と言われていた頃、断っても意味が分からないのか超安い単価(3円~5円/wordとか)でまた声をかけてくるので、メールはフィルターしました。短期で大型案件も多いような。

6.わたしが「いち抜けた」した会社は、定期的に単価を下げ、耐えられなくなった人が辞め、の繰り返しらしかったです。来るとわたしに決まっていたような案件があったのですが、クライアントに申し訳ないとは言え、20日以上1ヶ月分の生活費が遅れるのは耐えられませんでした。欧州なら取り立ての会社あるそうです。海外はいろいろいい加減なので、やっている仕事量の割にスキルが上がらない場合も。

国内の特に大手は、既にトライアル受けたり登録したことがあったり、条件を知っていたりします。それで余計に新規開拓が難しくなっています。よく分からない機械翻訳を導入したなど条件が合わない会社を昨年切ったんですが、向こうは「そうですか」と言っておいてデータ消してないとか最近2件連続で経験しました。

8.いろんな課題があって何でもやらされるんだとも言われました。聞き取りもある場合があると(英語翻訳でも実務翻訳者に動画の字幕付けてくれという案件があるそうです)。「楽しく訳せたから出来がいいとは限らない」みたいな講評をもらいました。

9.翻訳するなら、トライアル一発なので資格は関係ありません。試験受けていく過程で面白いことを知ったりできるので受けています。イタリア語検定は準2級に惜しいところで落ち続けていて、先生には翻訳まだまだと言われています。スペイン語検定3級にB判定で落ちた後、DELEというスペイン政府の試験(B1)に落ち続けています。わたしが英検を信用できないのは、DELE試験官が試験(厳しいらしい)でちゃんと選ばれていて、いろんな国から来ているのに発音もばらつきがないから。受験料がお高いのでそこまでできるのかもしれませんけど。

10.セミナーは出ればいい訳ではなく、自分なりに復習しないと(自らに言い聞かせている)。治験周りは自習の方法ない訳じゃないらしいですが、また翻訳講座受けようかなと考え中です。

11.この本です。自分がいい加減だったと実感したような。他にも自分が知らないだけでいい本はあると思います。正直冠詞などは今でも英訳でボロが出ているので読み直すかな。Logophileに入れたロイヤル英文法を最近使っていますが。日向清人先生の本も気になります。

14.イギリス人の先生が主です。ですけど、2年ほどなかなか定期的に行っている余裕がありません。家族経営的で、兄弟に順繰りに習っているところです。来月BBQもあるし行くぞーと思ってるんですけどね。先生たちがパブ(バー)を建てて夜はお店の人になり、お酒や料理出してくれてたこともありました。

15.放送大学はずっと前に何もしないで辞めたことがありましたが、現在院にも学部にも籍があります。初歩イタリア語を視聴(のみ)、他に理系中心で履修しました(精神医学、生物学、言語学を大学院で、物理学3科目を学部で)。この間、昔は点数取れなかった物理の専門科目を終わらせたところ。対面授業もあります。来期は息切れのためお休みすると思いますが、過去の化学科時代の単位も生かして物理方面で修士号を取りたいなと思っています。なのでこのブログは物理の話が多いのです。

16.ビジネス英語は「入門ビジネス英語」「実践ビジネス英語」と2つあります。前者はビジネス現場で「人の心を動かして」ビジネスを円滑に進めるものの言い方が参考になり、後者はアメリカのビジネス周りのトレンドについて突っ込んだ話。他の言語も夏に体調崩して遅れまくりです。

17.翻訳ストレッチについてはTwitterでハッシュタグ探すとあるんですけど、改めて書くかもしれません。

18.ボチボチに持っていくのが難しいこともありまして、本当に仕事と体調の波は何とかしたいですね。翻訳者は勉強してなんぼなんですけど、仕事があって調子が良くなく勉強が重なるとえらいことになることがあり、ペース配分も大事です。

今『半分、青い』を惰性で見ていますけど、鈴愛があれほどやりたかった漫画家を辞めたあたりのところは心に残りました。くらもちふさこさんも見ていたようで、こんな記事があります。このお話、自分の仕事に引きつけて考えるとすごく分かります。続けていると、現在経験中のことも含めいろんなことがあるので。

くらもちふさこ 朝ドラ鈴愛に「漫画をやめてほしくなかった」   (アーカイブ


 

最後に、物理学者ニールス・ボーア(コペンハーゲン生まれのデンマーク人)の言葉を引用します。量子力学を提唱し現代の物理学を開きましたが、アインシュタインは「神はサイコロを振らない」と量子論を認めず論争になりました。2005年のわたしはまだ大分体が大変だったはずなんですが、こんなエントリを書いていました。

引用します。

An expert is a person who has made all the mistakes that can be made in a very narrow field.

***

大分前の「日経サイエンス」上で「あらゆる失敗をしたものが専門家になる」と紹介していたような気がするのだが、そしてすごく励まされた気がするのだが。ふと原文(英語でいいのかな?)を当たってみた。「非常に狭い分野で」っていうのが抜けている。

***

失敗しても次に生かさないとダメだと思うんですが、これを自分の研究HPに書いている研究者もいました。確かに励まされる言葉ではありますね。ボーアの言葉は物理関連の他にもなるほどと思うものがあり、日本でも人気があるのは頷けます。

残念ながら、わたしがこのように努力しても必ず成功するとは言い切れない(100%ではない)のが翻訳という仕事だと思います。物事に100%確かなことなんてありませんが。好きという気持ちだけでもやっていけず、なかなか難しいことですね。異論のある人もいるようですが、仕事の継続獲得についてわたしの周りでは口にはいちいち出さないけど悩みを持っている人が多い印象を受けます。

自分のやって来たことを10年強分の過去ログに書いてあります。最初の方はあまり内容ないんですが、参考になるところは持っていってくださいませ。

そういうわけで、長々書いてきた自分の勉強歴(人生も?)はひとまず終わりです。

~おしまい~

わたしのしてきた英語の勉強(のようなもの)その3・大学院中退、家庭教師バイト、翻訳通信講座

前々回 前回から続く

ヨシダヒロコです。

interior of house

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英語関係ない話が多いと思われた方もいるやも。まず、こういう状況でわたしはこういうことをしていたよという相関をお話ししたいのと、わたしは言葉に関してとてもいやな目に沢山あっています。言葉というものはこれだけ人を傷つける、だから大事ということを言いたくて書いている部分もあります。最近積ん読のスティーヴン・キング”On Writing”が目に入ったのですが(邦題『書くことについて』)最終章は確かずっと自らの人生のモノローグでした。もちろん、すっかり忘れていたので真似たつもりはなかったのですけどね。

それに富田靖子さんが、昔のNHK『スタジオパーク』のインタビューの中で「言葉は本当に怖いです」としみじみ言っていたのを思い出します。言葉って選べば人を簡単にハッピーにできるし簡単に絶望のどん底にも突き落とせます。言葉に関わるのなら知っておいて欲しいです。

もう1つ、わたしはいわゆる4技能(読む、書く、聞く、話す)を全部やろうとしましたし、今も努力しています。多分興味あるからだろうし、すべてはお互いに関連しているとも思います。英検などでA1とかB2とかありますけど、その評価付けをしているEUのCEFR(セファールまたはセファー)が今年4技能を止めて別の言い方に変えました。それを書き出すと長くなるので別の機会にしてここにリンク貼ります。

ただし、読まれた方は好きなように参考にしたりしなかったりされればいいと思います。みんなやり方が違いますので。

(箇条書きにしたら段落の間が空けられなくなってしまいました。画像や太字で努力しましたが、読みにくかったらすいません)→直しました(2018/08/27)


理系大学院生時代のわたしと英語

  1. 英語が読めない
  2. 論文翻訳バイトができない
  3. 大学院には猛勉強で受かったが、体を壊す
  4. 昼夜逆転に苦しむ
  5. いろんな国の留学生との交流
  6. (言いそびれてました)大学生の頃から杉田先生のNHKラジオ「やさしいビジネス英語」
  7. アメリカ人&日本人カップルの英語教室に短期間行く
  8. バンドとかやって勉強に影響出まくり、ライヴ沢山聴きに行く
  9. 休学もして体調整えてみたが、中退
golden cup and basket with books

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1.専攻は天然有機化学で、薬効のあるものなどを自然界から探したり、同じものをフラスコ中で作ったり構造を探ったりします。割と最近知ったんですけど日本のお家芸だそうで、創薬の最初のステージでしょうか。まずは研究生として浪人をやりました。ただ、タスクは他の4年生たちと大体同じです。理系だからといって求められる英語が楽なわけではなく、わたしの研究室のクラスメートたちには帰国子女で卒論を英語で書けて、日本語能力も全く問題ないような人がいたりしました。他にもいわゆる「英語力」ならわたしが上かもしれなかったですが、学問の基礎がもうあり、日々誰に言われなくとも図書館から論文や和書の科学書借りてきて読んでいたりするような人々もいて、内容把握で勝てるはずがありませんでした。院生になってからだったか、原書講読でやらかしていたボロボロの訳は戒めのためにとってあります。

2.入学前に「英語得意なら論文翻訳のバイトが」という話もありましたが、わたしのレベルが低すぎました。複数論文を調べ、紹介したいお題を当時はスライドがまだなかったのでOHPというフィルムで投射して紹介するというのも順番で回ってきました。生化学やバイオ系が怖い、分からないと思っていたのはこの頃からで、最近数年でやっと抵抗がなくなってきました。内容が分かることは大事、とこのとき心に刻みました。

3.大学院入試は語学、化学、数学の3教科のはずでしたが、第1志望ではその年から数学がなくなりました。英語の配点高くなったラッキーという。理、薬、農学部の化学系に出願しました。学部生の時からずいぶん色々な研究室を訪問したのですが、薬学部の研究室の学生さんに麻薬成分他が書かれたノートコピーさせてもらったり、農学部では先生にその研究室の論文を頂き、お茶の成分トン単位から取れる活性成分mg単位という恐ろしいことが書いてありました。麻薬のところは落ちて別のところで拾ってもらえたのですが、理学部にまあまあで受かったので、農学部と薬学部の先生に辞退のお手紙を書きました。ただ睡眠5時間が続いてたので、受かった後がくっと体調が悪くなり大変でした。面接では頑張った化学ではなく外国語(ドイツ語もあったところがあったので)のみ評価されました。

4.望まないのに昼夜逆転のパターンに延々なってしまう睡眠障害があるそうですが、その頃知られておらず治療法もありませんでした。お医者さんと保健管理センターのカウンセラーさんにお世話になりました。眠剤飲んでも夜が白々明けてしまい、それから寝てたため朝大学に行けずしんどかったです。修論のテーマが進まないことは非常にプレッシャーでした。

5.国籍で覚えているのは、インド、中国、コロンビア、スリランカ。人生いろいろという感じでしたが、複数言語が飛び交うときもあって面白いと言えば面白かったです。研究者として来ている方もいました。コロンビアの方とは英語で会話をしていました。

6.院生の時はどうだったか忘れましたが、大学生の時に杉田先生のNHKラジオ「やさしいビジネス英語」が始まり聞いていました。その頃、国際関係学部とかの知人でもビジネス英語の重要性を分かってなかったようです。東京時代、TOEICは多分受けていたのではというおぼろげな記憶のみです。

7.東京で1回大学の近くに引っ越しをしていて、そこでこじんまりした英会話教室に出会いました。恐らく体調要因であまり続かなかったのですが、その後こういう雰囲気のところを選んで行くようになります。

8.東京行く前からバンドもどきの準備始めてた始末で、しかもお茶の水で高いヴィンテージベースをローンで買ってしまいました。うつ病者は夜に調子が良いことあるせいか、元気がないという割には東京で集中して開かれる洋楽コンサートをかなり聴きました。日本人ミュージシャンも、Charとか木暮”Shake”武彦(レベッカの初期メンバー、ダイヤモンド☆ユカイさんともバンド組んでた)さんとか。その他ブルーノートにも1、2回行きました。英詞も書いていたけれどさすがに後で恥ずかしくて、高校以来から書きためた(日本語の)詩もろとも廃棄しました。

というわけで、大学やめてまた富山に戻ることになりました。バブル崩壊から2年ほど経過し、わたしの行く企業はなかったと思います。将来が真っ暗で捨て鉢な行動ばかり帰ってから取っていました。ただし、学校自体は皆が仲良くて楽しいことも多く、もっときちんと勉強したかったなと思います。この専攻になってよかったことは、薬のごく基礎的な知識と、天然成分は優しいといくらいわれても例を複数挙げて「それは違う!」と言えるようになったことでしょうか。


家庭教師などバイト時代のわたしと英語(20代後半)

  1. 郷里に帰って家庭教師や塾教師(個人指導)をメインにする
  2. YMCAの先生から1年かそこらプライベートレッスン(同日追記:偶然掲示板で知り合って、学校は通してない)
  3. 他には近くの会社でデジタル地図をトレースしたり、遠くのブラック企業の研究職をすぐ辞めたり
  4. 『通訳翻訳ジャーナル』の記事に影響されて富士通のPCを買い、NIFTY-Serveに入る
  5. 今はない富山の翻訳・通訳グループに入ってお茶会など
  6. Nifty翻訳フォーラムのつてで洋楽の初仕事
  7. フェロー「Step24」(入門コース、通信講座)
  8. DHC「英日メディカルコース」とフェローのメディカル「マスターコース」(後者は選抜試験あり)を受講(通信)
  9. 英検1級とTOEIC900を8.とあまり変わらない時期に目指し、前者はあと1点とかそこらで落ちる。TOEICは達成
  10. トライアルにも2社くらいには受かって少し仕事していた
  11. ブロードバンドができてよく外国人と英語チャットしたりメル友作ったり
  12. ロンドンのロックFM”Virgin Radio”を聴き倒す
  13. 週1で主に中国人に2年ほど日本語を教えた
  14. 同業者の元夫と知り合ったのこの頃
  15. イタリア語、スペイン語に興味をまた持ち、Eテレ(当時は教育テレビ?)を見る
  16. 吹き替えの『ER』、あと字幕の『アクターズ・スタジオ』が好きだった
  17. イギリス短期留学から10年後に「リベンジ」でロンドンに1人旅、今度は楽しかった
adorable animal animal photography blur
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1.大学生はじめから家庭教師バイトしていて、続けるうち子供への苦手意識がなくなりました。親近感が持てる子だと、週1以上で訪問してますから親戚のお姉さんみたいな気持ち。ほぼ女の子対象に英語と理系科目を主にして、試験前は他教科もできるだけ対応するという感じでした。英語はCDを貸したり、古典や世界史で『あさきゆめみし』『ベルばら』を貸したらマンガは「目が小さい」と言いながら読んでくれました。教える経験は自分の勉強にもすごくなります。最近個別指導が盛んですが、違う技術なのでわたしには合いません。

2.この先生はシカゴの方でしたが、年もあまり変わらず音楽の趣味も合い、話して楽しかったです。新婚の奥さんも可愛らしかった。週1くらい1時間ほどのフリートークでした。

3.Googleマップがない時代に、お役所の様々な地図を特殊なソフトでなぞってデジタル化してました。TOEICスコアも買われ、研究職+英語要員で中途入社したこともあるんですが、トルエン(シンナー)を換気もせずガロン単位で使わせるなどいろいろあってすぐに辞めることに。会社も数年前に潰れたそうです。

4.富山にまた戻ってから『通訳翻訳ジャーナル』を書店で見かけ、パソコン通信NIFTY-Serve特集(翻訳フォーラム)に影響されました。翻訳フォーラムは後に文芸翻訳フォーラムと分離しました。Windows95が出てデスクトップPCが普及しだした頃で、それまでも卒論書くのにPC借りたり、化学式を当時描けたのはMacだけだったのでソフトを研究室で触ったりしていましたが、初めての自分のPCで夢中になりました。フォーラムも活発でしたけど、夜になるとチャットしたいと出てくる翻訳者、志望者、英語好きさんといろんなお話をしました。フォーラムにはTwitterのような、3行で言いたいことをいう3行部屋もあり、わたし含め愛好家がいました。「大オフ」は当時飲み会だけでしたし、他にも飲み会やオフがありました。タイピングが早くなったのはチャットのおかげです。

5.これもネットから派生したのですが、意外に富山に住んでいる人がいるのでお茶でもと人を集めた方がいて、わたしも呼んでもらいました。月1でランチするという緩い会で、わたしが結婚した後にトラブルがあって会が停止してしまいました。わたしが遠くから余計なことをしたせいもあったのかもしれません。

6.7.の受講中だったと思います。わたしは音楽部屋に常駐していて、その部屋の管理人の音楽・スポーツが専門の通訳さんから振られたお仕事でした。手がけた文書のうち、新人アーティストに関する文章があって、その人がデビュー早々ビルボードトップになったのは嬉しかったです。人気は長続きはしなかったですけど。

7.初めての通信翻訳講座だったはずです。英語のテストなどの点数が取れるのと翻訳は違うと自分でも分かっていたので、基礎からやりました。

8.両方並行したのはきつかったです。マスターコースは最後1回が直接講義です。「好感の持てる文体だが、医学の文体になっていない」とか「調べ物をもう少しのところで諦めてしまう」という講評を頂きました。特に後者は今でも良く覚えています。将来どうするかを考えていたかどうか、よく覚えていません。

9.英検を信じられなくなったときでした。大阪まで2次を受けに行って、たしか1次も後1点で落ちた経験をしてからのことでした(その前に1次B判定で落ちたような記憶があります)。試験官3人中日本人試験官1人だけの発音が聞こえないのですよ。面接終えて廊下に出たらみんな言っていました。わたしは「コミュニケーション能力」で点が低く、アイコンタクトはしていたので身振りがなかった?とよく分からず、今日まで再受験する気はありません。TOEICもこれだけ取ったのでもういいやと。そもそも翻訳に関係ないし。

10.トライアルに受かった会社から無理言われたり、人の出版翻訳を夜更けまで手伝ったりを家庭教師の仕事の合間に入れていました。辞書CD-ROMも揃えつつありました。

11.メル友は今は流行らないですけど、結構ネットにはいろんな人が日本に興味を持っていて面白かったです。変な人もいました。離婚して帰ってきてからもチャットはしばらくやっていました。

12.有線を部屋に入れていた時期があって、後にインターネットでロンドンとNYのFMなど数年前まで聞いていました。Virginは選曲が非常にかっこよく、90年代に日本人リスナーは珍しかったらしいです。何年も聞いてて曲やCMをよく覚えました。今は海外配信が英国メディア全体でできなくなったらしいです。好きなDJのトークを聞きとろうと録音したり、いい曲のタイトルが分からないので歌詞をなるたけディクテーションして、昔は違法なためほぼなかった歌詞サイトで探したりしました。TOEIC上がったのはそれでかも?

13.ボランティア日本語教師講座を3ヶ月受けました。張り紙でLanguage Exchangeを募ったら、勉強する気あるのか?というアジア・中近東の人が多く来て、日本人との関わり(ごはん食べるとか遊ぶとか?)を欲していたんでしょうけど面倒なことが多く困っていました。それで、別の協会で中国人妻を教えることに。真面目にやってくれたのはいいけど、DV日本人男性には悲しいことに日本人女性に逃げられると、それなら中国人妻はどうだ?みたいな発想になる人がいるようです。あとでわたしも結婚後DVに遭ったので、富山に帰ってからかつて被害に遭った生徒さんの消息を尋ねましたが、見つかりませんでした。日本語教師は生徒さんの人生相談役になってしまうような難しいところがあります。言語的には日本語を別の視点から見ることができました。よく手作り餃子をもらいました。

14.(最後参照)

15.この2言語は似ているので、多少時間をずらしたのですけどやはりこんがらがりました。

16.『ER』は二か国語放送でしたが字幕なしでは無理で、忙しくて第2シーズンまで見てたかどうか。『アクターズ・スタジオ』は俳優の卵に聞かせる先輩の俳優さん女優さんへのインタビューです。もともとインタビューというものが大好きなわたしは、いろいろ掘り下げる司会者の話術もジョークも楽しみました。原題”Inside the Actor’s Studio”といい、なんと米国ではまだ放送しています。 一部分だけ下に貼ります。あとIMDBへのリンク。

17.19歳の時しばらくいたのはシェークスピアの故郷の地方都市、ストラットフォード・アポン・エイボンでした。ロンドンは週末ちらっと行っただけ。この旅ではロンドンのオスカー・ワイルドの住んでいた家の前まで行き、スローン・スクエアだかで店員のお姉さんと「日本サイズはえっと」と話しながらローファーを買い、まだ日本になかったかもしれないロクシタンに偶然入り、1人でパブに入ってランチしたり、ライブハウスに1人で3回行き女性が演奏に興奮して振ったペットボトルの水をかけられた上ガン無視されたり、いろいろありました。フラット型ホテルだったので小さなスーパーにも行きました。改装前のテートギャラリー、キューガーデンにも行き、自然史博物館で長々粘りましたが英語が読めなかったです。ネット知人に案内してもらったり総じていい旅でした。海外にはこれ以降行っていません。

 

この時期様々なことがあり、ターニングポイントだったんだなと実感します。結婚することになり、話が二転ほどしてわたしがフリー翻訳者になり広島に行くことになりました。辞める辞めないで揉めた家庭教師事務所も契約解除しました。引っ越し前に県内の別のところで少し塾講師しました。

普通フリーになるときは二足のわらじしてて仕事が増えたところで1本化する、またはそのまま2本なんでしょうが、自分に仕事の蓄積はありませんでした。「一緒にやろうよ」という言葉を真に受け、最悪のタイミング(入院が要るほどの体調)ではしご外されたと今でも思います。

家庭教師を辞めることになったお宅ではすごく困った困ったとなりご迷惑をかけ、ボロボロになって広島から富山に帰ってきたら、受験に失敗し半ば病んでいる生徒さんもいたくらいでした。翻訳するなら富山で教えるだけ教えてきちんと幕引きして、とできたらよかったのになと思い返すこともあります。

3回と前に書きましたが、4回目、広島以降今までのことを書いて終わりにします。

~最終回に続く~

はじめての人にも分かる翻訳者のトライアル(同日、翌日、2018/09/06追記)。

ヨシダヒロコです。

antica lettera con tazzina di caffè

Credit: Adobe Stock

ここを定期的に読む人が翻訳者のことをよく知る方ばかりではないかもしれないと思い、これを書いています。翻訳者から一般の方や翻訳経験が浅い人向けのアウトリーチというか。

ここでは字幕や出版ではなく、従事している人の数が一番多い「産業翻訳」(実務翻訳)の話をします。文系だと金融、芸術、インバウンドなど、理系だと全分野です。ビジネス一般はどっちもありますね。わたしは面白そうだと何でも手を出したがりますが、専門がかっちり決まっている人もいます。

「トライアル」とは翻訳者の登用試験で、フリー翻訳者は複数のところから安定して仕事をもらいたいため、関係が良好な取引先が複数欲しいところです。そのため受ける翻訳の試験です。募集には多少条件があることが多く、一番よくあるのは「翻訳経験者(会社勤めでの翻訳経験でもいいはず)、経験○年」とか「該当分野の知識や経験がある」などです。

(2018/08/24 10:26追記)

登録先は大きく分けて2種類あり、普通は翻訳会社という仲介会社に登録します。有名なのだとDHC(大学翻訳センター、CMしてるのは副業らしい)などがありますが、英文校閲出す人が翻訳会社の系列会社にお世話になる他は、あまり一般の人には関係ない会社です。そこはクライアント企業、役所、大学の仕事をもらってきます。元弊社などなにかのつながりがあると、直接取引もできます。ブログ書いてるとたまに両方連絡が来る可能性があります。クラウド翻訳も伸びてきていますが、やったことないので触れません。

わたしは今並行して書いている英語の勉強歴のところでもうすぐ書きますけど、20代終わりに当時のパソコン通信絡みで洋楽近辺のお仕事をもらいました(氷河期で就職できずバイト生活中)。コネと洋楽の知識のおかげだったのかなと思います。

それからしばらくして通信の翻訳学校受けたりして、あるきっかけでフリーになろうと思いました。その時までにトライアルに受かっていた会社は少しはあったと思います。

応募手順

  1. 履歴書+職務経歴書を準備。あんまり長くない方が良いらしいです。Worksのページにダイジェスト版があります。希望単価は最初のうちは勝手が分からないでしょうが、慣れたら書いておくと便利なこともあります。なお、紙ではなくWordで準備します(2018/08/25 10:57追記:最近はWordをpdfで保存して提出したり、国内の会社だとパスワードかけたりします)。
  2. 翻訳サンプルが必要な場合もあります。昔翻訳学校で先生に「わたしは(医学)雑誌訳して付けてます」と言われたんですが、今は著作権的にOKなものの方が良いらしいと小耳に挟みました。

これで書類選考です。例えば募集は会社のウェブサイト、各種募集サイトに分野(IT、メディカルなど)、言語(英日など。英日&日英とセットな場合も最近多い。他言語は何でもやらされる)、職種(フリーランス、会社の中で翻訳するインハウスなど)を明記して出されます。応募者の気になる単価は、アメリアという募集サイトでたまに出ることがありますが分からないことも多いです。なので履歴書に希望を書いておいたり受験前にメールで聞くかすると教えてくれることがあります。単価の話は日を改めて。

他にCATツールという、機械翻訳とはまた違うのですが、原文の繰り返しを指摘・置換してくれるツールが使えることを条件にされる場合もあります。蓄積された翻訳であるメモリにある訳が悪いと悲惨な置換のしかたをされるし、Excelみたいに訳文がセルで途切れるので流れがつかみにくいという欠点があります。繰り返しの分値引きされるし。絶対使わないという方もいますが、わたしは2006年くらいから導入しています。

書類選考はほぼ通っていますけど、該当分野での実務経験が必要なケースで落ちたことが1、2回あります。

選考に通るとトライアルが送られてきます。履歴書を見てか、該当分野に「これもできるかな?」って感じで別分野が付いてくることがあり、別分野だけ受かったこともあります。制限時間2時間の会社だと、1課題が(2018/09/06追記:例えばの例で、英日だと)500ワードあったかなという感じです。多いと3課題ほどで(2018/09/06訂正)Wordワード数枚ということがありました(さすがに2時間ということはない。会社訪問の時にそのうち1課題が実際の仕事そのものだったと聞いてびっくりでした)。文章の量はほんとうにまちまちです。

トライアルは翻訳者になりたいと思ったらどの段階で受けてもいいのですが、翻訳については多少は学校に通う人がわたしの周りで多く(半年とか1年とか)、受けるのは在学中か終わったタイミングなどです。仕事を紹介してくれる学校もありますが、上位の人だけです。

うまく受かった場合でも、仕事に入ってからも随時開拓します。翻訳学校には新しい分野の翻訳をしたい場合など、また勉強しに行く必要が生じることもあります。もちろん色々本が出ているし、独学で何とかする人もいます。翻訳は人の目にさらさないとうまくならないので、最低でこの辺に勉強会があったらと思います。ネット勉強会で持ち回りで論文訳していたことありました。翻訳学校の必要性は今考えています。

わたしの場合トライアルの打率は、持病の調子が悪かったりするとやってもやっても落ちます。翻訳自体、馬力や体力も大事な気がします。もともと和訳から入りましたけど、去年英訳で医療機器・機械方面に受かったこともあって「ウソ?」と思ったこともあったし、治験が絡むと全滅に近かったりします。化粧品英訳はOJTでした。わたしは周辺・背景知識を付ける努力はしてきたつもりだけど、特に英訳では翻訳技術がいまいちなのかもと思っています。ちなみにトライアル自体の合格率は1割くらいらしいです。

他に、もうプロジェクトが決まっていて翻訳者さんを探しているという場合もあるそうです。普段の募集は優秀な方が少ないので常時募集というところが多いです。

(こないだ登録ある会社の別分野に落ちたとき、「いつでも一定の翻訳をできる翻訳者さんを求めている」と言われました。もちろんなのですが、こういう体の人は請負だと障害者雇用促進法も適用外だろうし、どうしたらと思っていたりします)

 


 

トライアルの決まり事でよくあるのは、

  1. 納期が決まっている場合は守る。早いと1週間ですが、事情がある場合は早めに申し出るとよいです。納期が決まってない場合もあります。
  2. 別紙に書いてあることが多い決まり事を守る。制限時間のある試験の場合時間を測って書くとか、名前や受験番号を書いてくださいとある場合ちゃんとファイル中に入れるとか、ファイルを圧縮するとかの処理。分からなかったら聞いてくださいね、とよく言われます。やり取りも見られているそうです。
  3. 納品時は「このメールへの返信で」とか「タイトルは変えずに」というのが多いですかね。
  4. 結果は、会社の方も仕事の合間に複数採点をしているので、早くて3週間くらいです。即不合格通知来た、という話も聞いたことあります。

 


 

この本がとても親切なのですけど、実はアメリアに連載時のものがまるまるあるのを春頃に見つけました。伝という会社の近藤さんこと「カントク」のジョークも関西弁で炸裂していて楽しいです。残念なことにかっとんだジョークや美味しいところが本ではだいぶ削られています。さらに残念なことに、この会社わたし落ちまして、次のチャンスないらしいんです。カントクの書いていたことで納得したのは「この人と一緒に仕事ができるか」を見ている、という言葉です。

受かっても100%喜ぶことはできず、本読むと分かるんですが翻訳会社は翻訳者をランク付けしています。合格者の上の方にいればすぐ仕事が回ってきますし、逆だと言わないでも分かりますよね。最悪どこからも仕事が来ないということもあるし、受注が途切れる場合もあるので、そしたらまたトライアル行脚の旅に出るのです。

2冊目の『プロが教える~』は何年か前から持っていて、去年秋のトライアルで活躍しました。書き手の中には存じ上げている方が複数いて親近感が持てましたし、複数人の勉強のしかたや翻訳に対する意見が読めます。あともうちょっと課題をやってないので1冊丸ごと紹介できないでいます。技術内容が分かっていたら分かりにくい原文をかみ砕いて訳せるという箇所もあり、「そうしてもいいんだ!」と思いました(書いた方に質問してみたら程度問題らしいです)。

猫先生こと青山さんは古い友人で、ブログ「女は翻訳でよみがえる」のリンクがここにもあります。この本はKindle本で、さらっと業界のことが分かります。辞書のことは進歩が速いので今は少し事情が違ってきているのかもしれないのと、特に仕事のないときに遠方の翻訳会社を訪問するときは、「近くについでがあってきました」と言った方が担当者さんがほっとします。直接お話しすると良くも悪くも担当者さん(コーディネーターさんとかコーディさんという)のキャラクターや社風が透けて見えることがあるんで面白いですけどね。

翻訳フォーラム有志の『できる翻訳者になるために  プロフェッショナル4人が本気で教える 翻訳のレッスン』も評判高い本です。上2冊は技術系ですけど多分この本はそれだけではないかもしれないので。積ん読が多いため、この本や気になるムック本、「通訳翻訳ジャーナル」でたまってたり買えてなかったりするものはゆっくり買います。

まだ暑い日が続いて消耗しますからゆっくりしますが、本を挙げているうちに「もっと休養できて元気出たら、どの辺を読もうかな」という気になってきました。

これを読まれた、特に「翻訳者には興味あるけどどんなことをしているんだろう」と思っておられた非翻訳者の皆さんにとって、秘密のベールに包まれていた翻訳者が「ちょっと分かった!」となってくれたら嬉しいです。

わたしのしてきた英語の勉強(のようなもの)その2・高校と大学理系学部にて

ヨシダヒロコです。

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Credit: Pixabay

前回から続く

前回のブログは、題名のせいかPVが多少上がったのだけど、どう受け取られたのでしょうね。「要するに英語がすごく好きだったのね」と思われたかもしれないですが、長いシリーズにしたのはすごく紆余曲折があったからです。

中学の時に周りから浮いたのは成績、特に英語のせいだったと思います。特に田舎の学校というところは成績が良い、悪い、家庭環境が人と違ったりすると浮くので、仲間はずれにされるのが嫌で授業中にはしゃいでサボってみたら予想通り成績(特に数学)が下がったりしました。中学校の時に嫌な思い出があったせいなのかなんなのか、望んでもいないのに優等生とされ、そう振る舞う羽目になって、コンプレックスがありました。単独行動が多くなったのは15の時です。

長くなってしまいましたが、よろしくおつきあいください。


 

高校生のわたしと英語

高校は英語を特に学ぼうと思って行った訳ではありません(英語コースがある学校は別にありました)。進学校だけあってすごい人が多く、自分が目立たないので楽になりました。当時は部活ばかりしてても物理の先生が「またラッパばっかり吹いて!」とか言ったりして容認してくれている雰囲気がありました。今の母校はまだブラス頑張ってますが、某最難関帝大に入れとすごくうるさいらしい。わたしが15、6年前くらいまで家庭教師してたときにも参ってる後輩の生徒さんいました。

さて英語ですが、こんなことがありました。

  1. 授業は聞くだけで、相変わらずNHKラジオだけ
  2. 英検3級、2級合格
  3. 留学生が来たけど話せなかった
  4. 将来の志望が決まる
  5. 洋楽に引きつづき惹かれる
  6. 洋画をひとりで見に行く

1.については3種類の授業があり、リーダー、サイドリーダー、コンポジションを確か1年生だとIR, IS, ICみたいな感じで呼んでいました。2年生で理系に上がってからも同じだったはずで、教科書が3冊ありました。予習をしなくてはついていけないはずですが、帰宅も早くはなくてたまに朝練まであるような状況ではそれは無理で、当てられると「大体こんな感じ」で訳しました。文法はオレンジ(当時。今は違う)の数研チャート式、他に問題集もあったかもしれないし、ラダーシリーズとかよりだいぶ難しかったはずのリーダー(小さめサイズで100ページ台くらい?後ろに単語などの解説がある洋書)を1冊ぽんと渡され、何十ページと実力テストに出ました。ラジオを聞いていたせいで成績が大幅にひどいことはなかったですけど、もっとやっとけばよかったです。

2.はあまり準備をした覚えはありません。

3.Jさんという女子高生がアメリカから1年くらい留学に来ました。お話ししたかったのですが、前回書いたようにその頃とても内気だったので。今では道聞かれることも不通普通にあるし、聞かれてなくても「お困りですか?」とやることあるのになんなんでしょうね。Jさんは富山を懐かしがって帰ってきたりしたようです。高校生の頃、仲良くしている同級生がうらやましかったです。

4.1年の時点で理系に行くと決めていました。朝永先生、湯川先生など文章が上手な研究者の本に影響を受けました。それでもあまりに理数系が上がらなくて(ブラスばかりしているから当たり前です)文転してみたことがあったくらいです。機会を見つけてはしつこく言っているのですが、文理というものがあるとすれば(知る範囲で外国の大学には区分けがないと聞いています)わたしの成績は当初文系で、国語と英語が得点源でした。そういう理系出身の翻訳者さんもたまにインタビュー読んでるといます。3年夏休みのコンサートの後、母校の高校としては初出場のコンクールで忙殺され、なんと北陸大会に出場が決まったところで優秀な後輩にバトンタッチしました。勉強しないと、うちは国立しか受けられないし。家にいるとサボるので、毎日学校に行って同級生と勉強しました。しぶとくやっていくうちに、理数系の成績が上がってきました。

そんなわけで、落ちこぼれだったため理系だすごいと言われるのはなんだか苦手です。

(前職の家庭教師・塾教師のとき思ったのですが、理数系の科目でつまづくところは昔のわたしと同じくみんな同じで、そこを丁寧につぶしていけばいい。英語もそういうところあるんじゃないでしょうか。この仕事に就いてから英語で苦労していることはまた書きます)

理学部の志望を一巡し、物理の成績が足りなくて天文系と物理系を諦めました。物理は決して嫌いではなく、物理のほうが最近になるまで振り向いてくれませんでした。意地張って共通一次(最後の年でした)で取りましたが、40過ぎてまた勉強し出すとは自分でも意外でした。生物は履修させてもらえなかったけど専攻を希望したことがあります。結局、担任が天文好きの化学の先生で、「2番目に好きなことを仕事にする」との言葉に影響されました。大人になってからお聞きすると、天文は昼夜逆転で観測して体を壊した人を沢山知っているとおっしゃっていました。今ではリモートでも観測できるようです。好きなことを仕事にすると好きでなくなってしまう恐れがありますよね。

化学は薬学部、工学部、農学部、理学部と広い範囲で学べるので、農学部と工学部を第1、2志望にし、遠方の農学部は合格後辞退しました。

化学を志したきっかけはここにあります(リンク)。みんなこんな綺麗な反応ではなく、臭かったり汚かったりするものもあるのですが……。そして、後者の方が忘れられなかったりします。

5.はFMラジオで昔で言う「エアチェック」をしていました。ビートルズ、サイモン&ガーファンクルなどでした。1曲特に好きだったのを貼っておきます。他に”We are all alone”など、ブラスバンドで演奏した洋楽もありました。

 

6.映画は中学生の時から同級生とたまに見に行っていましたが、高校は街の中心に行くには便利な立地でした。今は休止中で、そのことを何回か書いた「フォルツァ」という映画館があり、その前身の映画館で確か試写会に当たってひとりで見たのがいきなり『プラトーン』でした。確か高2の頃で、すごいショックを受けたのを覚えています。外国語に触れる機会がひとつ増えました。ちなみにオリバー・ストーン監督はもうすぐ富山に来ます。

 


 

理系大学生のわたしと英語

  1. 英語の授業に失望し、中国語とドイツ語を取る。古代ギリシャ語も少し
  2. 英検準1級合格
  3. TOEICも受けた(初回700点台くらい?)
  4. イギリスの語学学校3週間、なんとバングラデシュ航空で
  5. スペイン語との出会い、レストランでのバイト
  6. 本物の通訳さんに出会う
  7. 学部生でいる英語
  8. 大学院は東京に出る!
  9. 大学4年でアカハラを受けロックに助けられる、将来の予定狂いまくる

 

1.はですね、高校の英語のレベルが高かったせいで、教養課程(当時はそういう期間があり、うちの大学では1年半様々な教科を学ぶ)に入ったら退屈すぎたんです。無謀ですが英語には出なくなりました。「ヨシダさんはどうした」と同級生が言ってたとか。ちゃんと授業に出ていた訳ではないけど、中国語で中国の映画を見せてもらったり、ピンインの発音が楽しかったり、ドイツ語のリーダーは傷病兵が主人公で気が滅入るストーリーでしたが、考えてみれば「格変化」を初めて見たのはあの授業でした。大学にはラテン語・(古代)ギリシャ語で1セットの授業があって先生が「仏」と言われていました。1学期だけギリシャ語履修してみました。先生が「ギリシャ語を学んでいいことは、ギリシャに行ってそこら中あの文字でも戸惑わないで済むこと」みたいに言っていて面白かったです。今でもあやふやな理解の量子力学ですが、あれにもギリシャ語の習字はいいと思います。ノート取るときとか。

言語学のゼミというのも興味あって取っていました。昭和天皇が亡くなる前にご病気報道が毎日のようにあって、病状を説明する新聞の敬語が崩壊しているのを用例拾って授業で報告していました。今思うと、何であんなプライベートなこと報道してたんでしょうね。

2.は大学1年の時で、やはり記憶にはありません。今の英検とは大分違うと思うし。国連英検B級も同じくらいの時期に受けたんですけど、面接で「ビートルズ好きです」と言ったら「どのアルバム?」と聞かれ、「買えなくてラジオで聞いている」というのが出てこなくて終了となりました。

3.このころTOEIC今のように有名じゃなかったんですよね。勉強仲間もいなかったから、NHKテキストにでも情報があって知ったのでは。1回受けたらたしか700点台でした。20代のうちに何回か受けていて、多分2、3回で800点台に上がりました。問題集は最初のうちは存在した覚えがないです。富山からは21世紀に入っても金沢まで行く必要あったかもしれません。地方の方はご存知かと思いますが、例えば英検だと1級の2次は大都市でしか受けられません。

4.これについては以前書いたことがあります(2005年、リンク)。専門課程に上がる前に行っておきたく、本ちゃんの留学をその後してみたかったのです。行き帰りは1人だったので、行きにトランジットのバンコクで、まっとうなホテルの前にいたタクシーの運ちゃんにホテルに連れ込まれそうになり交渉して我慢してもらい、男の人怖いとなってしまいました。帰りはヒースローで、「キミは荷物少ないからこの荷物キミのにしてくれない」と複数人から言われ、後で知ったのですがヤクの運び屋にされそうになっていたり。ちゃんと断りましたが。

わたしのは短すぎて留学のうちに入らないと思います。ペーパーの結果よくしゃべるヨーロッパ人たちの少人数クラス(スイス人2人、ドイツ人1人、フランス人2人、日本人わたし入れて2人)に入れられ、リスニングとスピーキングで特に苦労しました。学校の先生は綺麗に発音しても、街の中で「もっとゆっくり喋ってください」が上がってしまい言えないので、相手はそのままのスピードで繰り返し、「だめだお手上げ」ポーズをするのです。学校はフィリピン辺りの学校が増えたせいなのかどうやら潰れてしまったようです。残念。担当の先生は3人ほどいて、そのうち担任の先生が”Hiroko is motivated” “It’s interesting to see your spell mistakes” みたいに講評を書いてくれたのが心に残っています。

「言いたいことはブロークンでいいから主張してみる」とか「愛想も大事(そういうタイプの子が友達多かったりした)」とか「度胸も大事」、いろいろ思ったことがありました。工学部生のわたしに興味を持ってくれた隣の席のフランス人の男の子と工学の話できればよかったんですけど、「まだ専門的には学んでいない」というのが出てきませんでした。もうちょっと学校にいられたら何かブレークスルーがあったかもしれません。

5.4.の学校で、南の人たちなのかとても明るいイタリア人たち多数と、数は劣るけど口数少なめでミステリアスなスペイン人多少が目立っていて、雰囲気がステキだなあと思ったスペイン人女性がいました。多分年は同年代で、すれ違ったりすると”Hi”と言ってくれるんだけど、きれいな人だったせいか話しかけられずジレンマでした。帰国してNHKのラジオスペイン語をしばらく聞きました。当時はスペイン国営ラジオのアナウンサー経験ある方が発音していたので、当時も今も思うんですがラテン語系の言葉は歌っているようです。イタリア人の作ったイタメシも食べました(後にイタリアにも興味を持つ)。

その後、今の金沢21世紀美術館の近くにあるスペイン料理レストランでバイトを始め、卒論が忙しくなる頃辞めましたが、FBで見つけてもらいまだ交流があります。昔良く運んでいたパエリア食べに行きたいです。

6.バイト先の近所に外国人向けのフリーペーパー作っている通訳さんがいて、のちに学校もやっていたようです(体験レッスンに出たことがある)。フリーペーパーのために「外国人がナスの天ぷら食べて『カブトムシみたい』 とか感想を言う」みたいな異文化体験の文章を頼まれて訳しました。平易なものでしたが誉められて、それがわたしと翻訳との初めての接触です。英語圏などの人がその方の家に出入りしていました。今だと外国人観光客が北陸にすごく増えましたね。

7.理系は英語が要らないかと言ったらそうでもなく、卒業研究に必要な論文は先生から渡してもらったりしますけど、すべて英語でした(複数)。原文講読(輪講と言っていたと思います)もあって、順番に論文だったか本だったかを読むのです。ただ、学部はまだ甘かったです。院に行って英語のレベルもすごく上がりました。

8.大学を地元近くにしたときから、希望の(企業)研究者になるんだったら院卒でなくては→できたら上京(なんとなく)みたいに考えていて、成績がよければ夢ではないと分かってからは親に根回しし、きつい学科だったのでアパートでも勉強していました。

9.アカハラは別のエントリで散々書いたので手短にします。大学4年で心を病んでしまいました。やっと這いずるように卒業研究に戻って実験をし、真っ赤に添削されて、自分の書いた文章の原形をなくした卒論が先生から戻り、何回か行き来して、卒業式の3日前にようやく提出できました。そのずっと前に、準学生みたいな研究生として東京の大学で置いてもらえることが決まっていたのです。卒業してから犀川で桜を眺め、翌月上京しました。

何とか朝から大学に行くに当たって、ヴァン・ヘイレン、当時大流行りだったニルヴァーナ、X JAPANなどうるさいロックとドリンク剤が気付け薬になってくれました。そういやベース(ギター)も3年生の時?買ったのでした。ブラスバンドはとっくに燃え尽きていました。ああいうしごきみたいのはよくないですね。英語などの勉強でも同じことです。

 


 

ちょうどその頃バブルが崩壊した境目でした。1年かそこらで状況が様変わりした、境目にいた人たちのことはあまり知られていません。院に進んだ人は、一部の優秀な人を除き貧乏くじを引いたようなものです。心を病んだこと、バブルが崩壊したこと、いろいろあって人生設計は大きく崩れました(割と最近ではリーマンショックで仕事激減したという翻訳者さんのお話を何人かから聞いています)。それでも何とか勉強は続けたよというのが次回の話です。

~次回に続く~

 

 

わたしのしてきた英語の勉強(のようなもの)その1・小中学校で

ヨシダヒロコです。

Büro Tisch mit Kaffee, Pflanze, Brille und Handy

Credit: Adobe Stock

現在翻訳者の仕事をお休み中で、その辺について思うことはまた書きます。まあ自分に自信を多少失っていることは確かです。このエントリは3部作で、読者の方は必ずしも翻訳者の仕事や経歴についてよくご存知ではないかもと思うようになっていたところに、歴の長いツイ友に「翻訳者がどういう勉強してきたか読みたい」と言われたのが後押しして、書こうかなと。

長年書いてるブログですけど、訳あって最初はタイトルに単なるフリーランサーと名乗ってました。タイトルをトランスレーターと変えてからしばらくして、自己紹介はAbout、経歴や仕事がらみはWorksにあるのですけど、RSSついてないしそれほど読まれてません。今度から更新したらブログに一言入れます。今回シリーズのはWorksの経歴のうち語学学習(主に英語)を詳しく書いたものになります。


小学生のわたしと外国語

小学校の時のわたしは近所の草原でよく遊んで、虫捕ったり花摘んだりして、夏休みの宿題の計画性はありませんでした。親に絵を描かせた覚えもあります。自由研究や作文(読書感想文、人権の作文、詩)で誉めてもらったり評価してもらったりしました。でも計画性がないので8/31とかにジタバタしたり、共同研究者(笑)のお母さんにもご迷惑かけたかもしれません。自由研究のテーマは「オジギソウはなぜさわると葉をたたむ」とか、ひと夏アリやカナヘビを観察したり飼ったり、生物系でした。

英語や外国に関連して小学校時代は、

  1. 楽器を始めて洋楽のメロディーなどを演奏
  2. 『赤毛のアン』『ニルスのふしぎな旅』『太陽の子エステバン』などに影響される
  3. 『赤毛のアン』は村岡花子訳で全10冊読んだ
  4. 『ニルス』にはまりスウェーデンの人と話がしたいと思う、英語勉強したい

1.については共同研究者?の真似してフルートを始めたのが小5終わり頃でした。うちはどこにでもある普通の自営で、裕福ではありません。やりたかったピアノは買える余裕なかったのです。フルートは安いものなら10万しませんので粘りました(銀とか金とかあるので上は天井なし)。音楽に触れ自分で演奏し、最初のうちはビートルズの分かりやすい曲もあったのです。原曲を聞いたのは多分高校生だと思うけど、小学生の時の演奏した『オ・ブ・ラ・ディ、オ・ブ・ラ・ダ』をヤマハのグレード試験で誉めてもらったのは、子供だったので嬉しかったです。以降、「洋楽」にずっと関わる中で相手国の文化に触れていくことになります。

これはポール・マッカートニー公式からで、2010年の演奏です。ビートルズのメンバーは全員歌えるんですが、この曲はポールがリードヴォーカルで、ジョンとジョージがバックヴォーカル、他にいろいろ複雑なことやったらしいと今調べました。ポールひとりで歌っても微笑ましい曲です。

最近はJ-POPが優勢のようだけど、One OK Rockとか海外に影響受けたバンドも日本にありますね。

こんなツイートも去年ありました。

2、4.について、わたしが子供の頃は親が安心して見せられる児童文学のアニメが週末とかに入っていました。他には『フランダースの犬』(地元の人は「わたしらはそんな冷たくない」と言ってるらしい)、『母をたずねて三千里』、『小公女セーラ』とかいろいろでした。話はつくりものかもしれないけど、登場人物の名、地名、習慣とか見てると何となく覚えるかも。今の世界中のアニメファンが、日本のアニメで日本好きになったようなものです。高畑さんや宮崎さんが作ったアンも大好きでしたが、なぜかわたしは、悪ガキのニルスが魔法で小さくされ、ガチョウの背中に乗ってガンの群れとともにラップランドを目指すというラーゲルレーヴの『ニルスのふしぎな旅』でスウェーデンに興味を持ちました。

当時も英語教室はありましたがうちには敷居が高く、今考えれば基礎英語のフライングすればよかったんではと思いますが行けませんでした。海外文通は中学生の時実現しました。小学生のわたしは、中学に入ったら絶対英語勉強してやる!と思ってました。

ちなみに『エステバン』ですが、これは南米のアステカ・マヤ文明などにまつわる話で、分かる人が見ると設定はいい加減だそうです。知人に影響受けた人複数知ってて、わたしが後にスペイン語やりたいと思った無意識のうちの理由になっているかもしれません。どうしても南米(といっても広いけど)に憧れがあります。刷り込みとしか思えません。

 


中学生のわたしと外国語

中学生の時に起きたこと

  1. 基礎英語を毎日聞いたためか、英語は他に何もしなくてよかったに近い
  2. 念願の海外文通をひとつ下のスウェーデン人の女の子と開始
  3. 英検5級、4級取得
  4. MTVという今はYouTubeにあるようなMVが夜遅くのTVで沢山流れるようになり(多分日本初)、洋楽が流行る。すごい影響される。

1.については、基礎英語は今もそうだけど6時台に始まるんですよね。お布団の中で眠い眠いと思いながら聞いていた覚えがあります。今のようにPCソフトで録音できたりCDもないです。LPレコード初めて買ったのが中2ですから。いや年がばれますね。今のように週3でなく週6だったので、なるたけ聞き落とさないように頑張っていた覚えがあります。後に家庭教師になったとき全員に勧めたんですが、なかなか難しいですね。

(NHKラジオは、今年になって30代くらいからかなりのブランクを経て再開しました。TVやラジオで他国語含め勉強している翻訳者はたまに聞きます)

基礎英語で忘れられないのは、土曜に入るキャロライン洋子さんの童謡。マザーグースなどで、何と探したらYouTubeにありました。消されるかもだけど、好きな曲を2つくらい貼っておきます。マザーグースはナンセンスなところが良くて、洋楽やいろんなところに出てきます。翻訳やるなら知っておいた方がよいです。最近だともう知っている人あまりいないかもですが、マンガ『スケバン刑事』の故・和田慎二先生も引用してました。作品名忘れてたけど『左の眼の悪霊』らしいです。

ダウンロードしたっきりですが青空文庫版でこんなのがあります。

“Three Little Kittens”は初めて聞いた当時口が回らなくて歌えなかったと思います。歌詞の解釈も教えてもらい、土曜は楽しみでした。そんなこんなで学校の授業も楽しかったというか、NHKの方が先に進んでいたようなので。

 

小学生の時に、上に出てきてた幼なじみのうちでマザーグースの絵本を見たらショックだったのが『6ペンスのうたをうたおう』でした。オーブンから出てきたパイから鳥が飛んで行ってて、「丸ごと焼いたの?」「死んでるのに飛んだの?」と怖かったです。イギリス人知人にさっき聞いてみたら多分こういうことだと言ってました(2つめの動画)。中世の習慣でそういうものがあり、シェフがパイの皮の中に生きた鳥を入れて飛ばし、別に作ったパイでお客をもてなすらしいのです。

 

 

2.については、今だとメル友とかSNSの友達でしょうけど、最初作るなら英語が第二言語の国の人が良いと本で読んで、紹介団体に紹介してもらいました。先方もお互いいい年になりましたが、今でも年に2回カードが行き交い、娘さんも入れてFB友達でもあります。残念ながらまだ会ったことはありません。お互いの言葉が「こんにちは」程度なら分かるようになってきました。

3.については何となくで記憶にはないです。

4.については、中3の時に初めて買った洋楽アルバムにこの曲が入っていたのですが、テンポもそこそこゆっくりしてて、歌詞カードを見てうーんとなっていました。特に分からない単語が”circumstance”でした。今聞くと”whether”も既に出てきています。これ聞いて15年後にはもうジャパンツアーがなくなっていて、ロンドン旅行の時に生で聴きました。

マドンナとかヴァン・ヘイレンとかプリンスとか、いろんなミュージシャンを中学生終わりの時期に一気に知ることになりました。歌を聞いたり歌ったりするとリズムについては多少覚えられるのではないかなと思います。リスニングについてはその3の成人以降になると思いますが、FM音楽ラジオを聞き倒し、少し変わった学習のしかたをしています。

 

 

英語というより音楽の話ばっかりだったかもしれません。本当にそうで、高校3年までブラス漬け、一応クラシックのフルートのレッスンもやってました。音大がお金がかかるものだと知らなかったら、大胆にもそう考えたかもしれません。でも『のだめ』とか読むと切ないですね。

小・中は近くの公立、高も公立です。そもそも富山にはお受験がほぼ存在しないのですが、高校は「自由な校風」という先輩の言葉に惹かれて英語に力を入れた進学校に行きました。中学校の時は特に年齢的なものもあり不安定で、まずいことにわたしは小学校半ばから大学の半分過ぎるまで自己主張が下手でした。中学の時に孤立してしんどいところを助けてくれたのは部活や趣味だったし、自己主張ができるようになった理由は、恐らくいろんな目にあっているうちに(仕事含む)「ここでなんか言わないと」みたいなことが多くてそうなったのかも、と。はっきりものを言うことが多い外国語を学んでいたことも理由としてあると思います。

~次に続く~

帽子屋さんこと高橋聡先生のフェローオンライン辞書セミナー(第3弾)受講記(2018/04/14~05/07)。

ヨシダヒロコです。

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Credit:Pixabay

この講座、正式には「スペシャルプログラム【動画配信】 翻訳者のための辞書セミナー 実践(オンライン講座)」と言います。あらかじめ録画されたものを配信するのですが、受講料を払った人だけ3週間ほど好きなだけ繰り返して見られます。アメリア会員でなくても受けられますが会員だと5000円台です。毎回この手のセミナー受けるのに富山から大体泊まりで東京やら大阪やらに行っていたことを考えると、うちでリラックスして見られるしとても助かりました。東京近郊でも外出できない事情がある方にも便利かと思います。

ちなみにこのセミナーは第3弾で、入門編(魚拓=アーカイブのリンク)、英英編(魚拓)がその前にあります。わたしの場合直接セミナーを聞いた経験もありますし、いきなり第3弾に行きました。聞いてみて、前のも聞いてみたいと思いました。今回のセミナーの魚拓はこちらです(魚拓)。

事前課題がありまして、時間はかかりませんが解いておくと全然理解度が違います。

ただ、どのセミナーにも言えますが「行けば自動的に良いことが教えてもらえる」と思っている人には多分あまり収獲がないかも。わたしがどこどこでこんな話を聞いた、とここに色々書いているのは、もちろん現地で頑張ってメモも取ってますけど、帰って頭を整理して情報を必要とする人にも知らせるためです。その過程自体が勉強にもなります。なので「こんなこと知ってる」と自慢しているわけではないです。

辞書セミナーでは分からなかったことを1回限りメールで質問できますので、最大限に使うのがいいと思います。わたしは塾などで少人数を教えたことが長期間ありますが、質問されると嬉しいものです。馬鹿な質問とかあまり考えない方が良いです。

では感想を箇条書きに。期限ギリギリに思い出し、2回目以降は早送りにして気になったところをよく見ました。中身が一杯だったので。

  • この辞書を引くとこういう風に出てくるといろいろ例を出してもらえるので、欲しい辞書が沢山できてしまった
  • 紙の辞書のすすめ
  • 大辞典クラスでまだ揃えられてないものがあり、頑張って買おうと
  • 電子辞書、辞書ブラウザでの成句の引き方(これは助かりました)
  • 問題演習が沢山。再生をポーズにして考えられる
  • スマホアプリの話も
  • EBWin4はあるが使っていないので触ってみようかなと
  • 沢山あるスライドは全部送られてきて資料になる
  • 90分中30分が事前課題の説明+問題演習
  • よく訳をどれくらい砕くか悩むが、訳出の過程を見せてもらったのがとても参考になった
  • 日本語シソーラスの使い方
  • アメリア定例トライアルに絡めて、「何となく訳さないように」と(耳が痛い……)

高橋先生によると、同じものがまた配信されるかもとブログで。ブログは3つあって、その1つのブログをリンクしてなかったので近く右のバーにもリンクしておきます。side A に辞書の情報が出てきます。Tradosのが1つです(リンク済み)。対面セミナーにせよ、ブログでどんな感じの話になりそうか見るのもいいのでは。新しい情報もありますし。

禿頭帽子屋の独語妄言 side A

2018.04.07

 # フェロー・アカデミー、オンライン辞書講座・第3弾

http://baldhatter.txt-nifty.com/misc/2018/04/3-aeb2.html

Tradosの方は

禿頭帽子屋の独語妄言 side TRADOS

一応説明すると、辞書ブラウザはCD-ROMやDVD-ROM形式の辞書を沢山使う人が一括で引けるものです。わたしはかなり長いこと(フリーになる前から20年間くらい)使ってきて、最近便利なEPWING形式の辞書がほぼなくなったり使える辞書ブラウザが開発中止などでなくなってきたり、環境が変わって迷いまくりでした。今後自分で作業するに当たって、よい指針を与えてもらったと思います。それも、上京もいいものですが部屋にいながらにして。

講師である帽子屋さんはいつも帽子をかぶっているからそういうあだ名が付いているのですが、画面で最初分からなかったんです。よーく見ると、目立たない黒の帽子かぶっていました。帽子屋さんはやはり帽子屋さんでした。

天気が変ですね。

ヨシダヒロコです。

2018-06-11 16_Fotor

北陸も梅雨入りしました。そもそ北陸では曇りがデフォルト、何かあれば傘もって出かけて当たり前(「弁当忘れても傘忘れるな」という言葉がある)なのです。TVの北陸観光番組でいくら天気が良さそうに見えても、晴れた天気の良い北陸を見られるとは期待しないでください。いろんなことが「お天気次第」です。なんでああいう番組でいつも天気が良いのか、地元民として謎です。

梅雨と言えば、もともと天気が良くなく湿度も高いので、はっきりと梅雨らしい期間があったか疑問です。とにかく、ここ数日は雨です。

さて今年は(多分全国的に)いつになく気温が上がったり下がったり、春がいつ来たか分からなかったり、服や寝具をどうしてよいのか分からなかったりする状態が続きました。寝具を綿カバーにしたのは最近です。Tシャツ着ると寒いことがあるし、上になんか着ると暑いし。そういう天気だから春から風邪も比較的引き、1回は今週末でした。

ここを読んでおられる方は必ずしも翻訳者さんではないのではと最近思うようになり、翻訳会社に登録してもらう登用試験の「トライアル」はまた説明します。同業者はみんないつも受けていると思います。フリーなので。わたしも色々大変なので最近複数の試験を抱えているのに、なんと大事なときに風邪、それも結構だるさがくる感じでした。いつもの補中益気湯や『マッサン』のホットトディーでもだるくて、しばらく寝たり、富山の売薬やら浅田飴なめたりいろいろやって、日曜夜には何とか机に向かいました。売薬のおかげだったら売薬さんありがとう。

幸い月曜朝一の納期ではなかったので、英日トライアルをひと通り訳したところで「すみません……」と納期延長のメールを入れました。良くないけど出せないよりマシだと思いまして。すぐに朝OKの返事が来ていて、日英の課題をこれからよくよく読むところです。

生活時間帯が後ろに後ろに行っている感じで、いけないなとは思っています。何かの試験がある時は訳したり問題解いたりして、ちょっと勉強したら空がしらじらというのは何とかしたいと思っております。

 

うんのさんの辞書(ビジネス技術実用英語大辞典 英和編&和英編 CD-ROM)はV6+V5の注文で旧版入手可能(ポトスより情報)。

ヨシダヒロコです。

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Credit:Adobe Stock

うんのさんの辞書は英和・和英とも「いの一番」に引いて読んでいるのに、何ということでしょう、最近まで持っているのが4版だと気がついてませんでした。先月末までに買えばよかったんですが余裕がなく。今では少なくなってしまった辞書引きソフトを選ばないEPWING規格で、今同じ規格なのはライフサイエンス辞書くらいでしょうか。

現在、たとえばAmazonではこんなことになっています。そのうち新品でこういう暴挙はできなくなるらしいですが。ヤフオクは16000円とか18000円とかでした。

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V6はどっちにしても買う予定なので、販売元のプロジェクトポトスさんに連絡しました。お返事をまとめると、

  • V6と一緒になら、V5はダウンロード販売できます
  • V5所有によるV6の割引もできます
  • V5が9990円、V6が2160円になります
  • V5に間違いを発見しているのでできるだけV6を使って頂きたいが、中古品の高値の取引も食い止めたいです
  • オンラインカタログに買えると書くかは考慮中、要望のあったときだけにするかも

割引まで適用されるとは思っていなかったので、大変ありがたいお話です。

実は1ヶ月前にフェローのオンライン講座で高橋聡先生(帽子屋さん)の辞書講義を受け、まだ記事にできてません。旧版は参照すると記述に変遷があることもあるので、捨てないで下さいねという話があったのです。講義についてはまた書きますが、「再開講されたときに最初から受けた方がぜったい良い」に尽きるので、詳しくは書きません。

翻訳料など入金があったら、ぜひ購入したいと思います。ありがとうございました。V5買い損ねた人にも共有したく、広めて良いかポトスさんに許可を取ってブログ記事にしました。