わたしのしてきた英語の勉強(のようなもの)その2・高校と大学理系学部にて

ヨシダヒロコです。

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Credit: Pixabay

前回から続く

前回のブログは、題名のせいかPVが多少上がったのだけど、どう受け取られたのでしょうね。「要するに英語がすごく好きだったのね」と思われたかもしれないですが、長いシリーズにしたのはすごく紆余曲折があったからです。

中学の時に周りから浮いたのは成績、特に英語のせいだったと思います。特に田舎の学校というところは成績が良い、悪い、家庭環境が人と違ったりすると浮くので、仲間はずれにされるのが嫌で授業中にはしゃいでサボってみたら予想通り成績(特に数学)が下がったりしました。中学校の時に嫌な思い出があったせいなのかなんなのか、望んでもいないのに優等生とされ、そう振る舞う羽目になって、コンプレックスがありました。単独行動が多くなったのは15の時です。

長くなってしまいましたが、よろしくおつきあいください。


 

高校生のわたしと英語

高校は英語を特に学ぼうと思って行った訳ではありません(英語コースがある学校は別にありました)。進学校だけあってすごい人が多く、自分が目立たないので楽になりました。当時は部活ばかりしてても物理の先生が「またラッパばっかり吹いて!」とか言ったりして容認してくれている雰囲気がありました。今の母校はまだブラス頑張ってますが、某最難関帝大に入れとすごくうるさいらしい。わたしが15、6年前くらいまで家庭教師してたときにも参ってる後輩の生徒さんいました。

さて英語ですが、こんなことがありました。

  1. 授業は聞くだけで、相変わらずNHKラジオだけ
  2. 英検3級、2級合格
  3. 留学生が来たけど話せなかった
  4. 将来の志望が決まる
  5. 洋楽に引きつづき惹かれる
  6. 洋画をひとりで見に行く

1.については3種類の授業があり、リーダー、サイドリーダー、コンポジションを確か1年生だとIR, IS, ICみたいな感じで呼んでいました。2年生で理系に上がってからも同じだったはずで、教科書が3冊ありました。予習をしなくてはついていけないはずですが、帰宅も早くはなくてたまに朝練まであるような状況ではそれは無理で、当てられると「大体こんな感じ」で訳しました。文法はオレンジ(当時。今は違う)の数研チャート式、他に問題集もあったかもしれないし、ラダーシリーズとかよりだいぶ難しかったはずのリーダー(小さめサイズで100ページ台くらい?後ろに単語などの解説がある洋書)を1冊ぽんと渡され、何十ページと実力テストに出ました。ラジオを聞いていたせいで成績が大幅にひどいことはなかったですけど、もっとやっとけばよかったです。

2.はあまり準備をした覚えはありません。

3.Jさんという女子高生がアメリカから1年くらい留学に来ました。お話ししたかったのですが、前回書いたようにその頃とても内気だったので。今では道聞かれることも不通普通にあるし、聞かれてなくても「お困りですか?」とやることあるのになんなんでしょうね。Jさんは富山を懐かしがって帰ってきたりしたようです。高校生の頃、仲良くしている同級生がうらやましかったです。

4.1年の時点で理系に行くと決めていました。朝永先生、湯川先生など文章が上手な研究者の本に影響を受けました。それでもあまりに理数系が上がらなくて(ブラスばかりしているから当たり前です)文転してみたことがあったくらいです。機会を見つけてはしつこく言っているのですが、文理というものがあるとすれば(知る範囲で外国の大学には区分けがないと聞いています)わたしの成績は当初文系で、国語と英語が得点源でした。そういう理系出身の翻訳者さんもたまにインタビュー読んでるといます。3年夏休みのコンサートの後、母校の高校としては初出場のコンクールで忙殺され、なんと北陸大会に出場が決まったところで優秀な後輩にバトンタッチしました。勉強しないと、うちは国立しか受けられないし。家にいるとサボるので、毎日学校に行って同級生と勉強しました。しぶとくやっていくうちに、理数系の成績が上がってきました。

そんなわけで、落ちこぼれだったため理系だすごいと言われるのはなんだか苦手です。

(前職の家庭教師・塾教師のとき思ったのですが、理数系の科目でつまづくところは昔のわたしと同じくみんな同じで、そこを丁寧につぶしていけばいい。英語もそういうところあるんじゃないでしょうか。この仕事に就いてから英語で苦労していることはまた書きます)

理学部の志望を一巡し、物理の成績が足りなくて天文系と物理系を諦めました。物理は決して嫌いではなく、物理のほうが最近になるまで振り向いてくれませんでした。意地張って共通一次(最後の年でした)で取りましたが、40過ぎてまた勉強し出すとは自分でも意外でした。生物は履修させてもらえなかったけど専攻を希望したことがあります。結局、担任が天文好きの化学の先生で、「2番目に好きなことを仕事にする」との言葉に影響されました。大人になってからお聞きすると、天文は昼夜逆転で観測して体を壊した人を沢山知っているとおっしゃっていました。今ではリモートでも観測できるようです。好きなことを仕事にすると好きでなくなってしまう恐れがありますよね。

化学は薬学部、工学部、農学部、理学部と広い範囲で学べるので、農学部と工学部を第1、2志望にし、遠方の農学部は合格後辞退しました。

化学を志したきっかけはここにあります(リンク)。みんなこんな綺麗な反応ではなく、臭かったり汚かったりするものもあるのですが……。そして、後者の方が忘れられなかったりします。

5.はFMラジオで昔で言う「エアチェック」をしていました。ビートルズ、サイモン&ガーファンクルなどでした。1曲特に好きだったのを貼っておきます。他に”We are all alone”など、ブラスバンドで演奏した洋楽もありました。

 

6.映画は中学生の時から同級生とたまに見に行っていましたが、高校は街の中心に行くには便利な立地でした。今は休止中で、そのことを何回か書いた「フォルツァ」という映画館があり、その前身の映画館で確か試写会に当たってひとりで見たのがいきなり『プラトーン』でした。確か高2の頃で、すごいショックを受けたのを覚えています。外国語に触れる機会がひとつ増えました。ちなみにオリバー・ストーン監督はもうすぐ富山に来ます。

 


 

理系大学生のわたしと英語

  1. 英語の授業に失望し、中国語とドイツ語を取る。古代ギリシャ語も少し
  2. 英検準1級合格
  3. TOEICも受けた(初回700点台くらい?)
  4. イギリスの語学学校3週間、なんとバングラデシュ航空で
  5. スペイン語との出会い、レストランでのバイト
  6. 本物の通訳さんに出会う
  7. 学部生でいる英語
  8. 大学院は東京に出る!
  9. 大学4年でアカハラを受けロックに助けられる、将来の予定狂いまくる

 

1.はですね、高校の英語のレベルが高かったせいで、教養課程(当時はそういう期間があり、うちの大学では1年半様々な教科を学ぶ)に入ったら退屈すぎたんです。無謀ですが英語には出なくなりました。「ヨシダさんはどうした」と同級生が言ってたとか。ちゃんと授業に出ていた訳ではないけど、中国語で中国の映画を見せてもらったり、ピンインの発音が楽しかったり、ドイツ語のリーダーは傷病兵が主人公で気が滅入るストーリーでしたが、考えてみれば「格変化」を初めて見たのはあの授業でした。大学にはラテン語・(古代)ギリシャ語で1セットの授業があって先生が「仏」と言われていました。1学期だけギリシャ語履修してみました。先生が「ギリシャ語を学んでいいことは、ギリシャに行ってそこら中あの文字でも戸惑わないで済むこと」みたいに言っていて面白かったです。今でもあやふやな理解の量子力学ですが、あれにもギリシャ語の習字はいいと思います。ノート取るときとか。

言語学のゼミというのも興味あって取っていました。昭和天皇が亡くなる前にご病気報道が毎日のようにあって、病状を説明する新聞の敬語が崩壊しているのを用例拾って授業で報告していました。今思うと、何であんなプライベートなこと報道してたんでしょうね。

2.は大学1年の時で、やはり記憶にはありません。今の英検とは大分違うと思うし。国連英検B級も同じくらいの時期に受けたんですけど、面接で「ビートルズ好きです」と言ったら「どのアルバム?」と聞かれ、「買えなくてラジオで聞いている」というのが出てこなくて終了となりました。

3.このころTOEIC今のように有名じゃなかったんですよね。勉強仲間もいなかったから、NHKテキストにでも情報があって知ったのでは。1回受けたらたしか700点台でした。20代のうちに何回か受けていて、多分2、3回で800点台に上がりました。問題集は最初のうちは存在した覚えがないです。富山からは21世紀に入っても金沢まで行く必要あったかもしれません。地方の方はご存知かと思いますが、例えば英検だと1級の2次は大都市でしか受けられません。

4.これについては以前書いたことがあります(2005年、リンク)。専門課程に上がる前に行っておきたく、本ちゃんの留学をその後してみたかったのです。行き帰りは1人だったので、行きにトランジットのバンコクで、まっとうなホテルの前にいたタクシーの運ちゃんにホテルに連れ込まれそうになり交渉して我慢してもらい、男の人怖いとなってしまいました。帰りはヒースローで、「キミは荷物少ないからこの荷物キミのにしてくれない」と複数人から言われ、後で知ったのですがヤクの運び屋にされそうになっていたり。ちゃんと断りましたが。

わたしのは短すぎて留学のうちに入らないと思います。ペーパーの結果よくしゃべるヨーロッパ人たちの少人数クラス(スイス人2人、ドイツ人1人、フランス人2人、日本人わたし入れて2人)に入れられ、リスニングとスピーキングで特に苦労しました。学校の先生は綺麗に発音しても、街の中で「もっとゆっくり喋ってください」が上がってしまい言えないので、相手はそのままのスピードで繰り返し、「だめだお手上げ」ポーズをするのです。学校はフィリピン辺りの学校が増えたせいなのかどうやら潰れてしまったようです。残念。担当の先生は3人ほどいて、そのうち担任の先生が”Hiroko is motivated” “It’s interesting to see your spell mistakes” みたいに講評を書いてくれたのが心に残っています。

「言いたいことはブロークンでいいから主張してみる」とか「愛想も大事(そういうタイプの子が友達多かったりした)」とか「度胸も大事」、いろいろ思ったことがありました。工学部生のわたしに興味を持ってくれた隣の席のフランス人の男の子と工学の話できればよかったんですけど、「まだ専門的には学んでいない」というのが出てきませんでした。もうちょっと学校にいられたら何かブレークスルーがあったかもしれません。

5.4.の学校で、南の人たちなのかとても明るいイタリア人たち多数と、数は劣るけど口数少なめでミステリアスなスペイン人多少が目立っていて、雰囲気がステキだなあと思ったスペイン人女性がいました。多分年は同年代で、すれ違ったりすると”Hi”と言ってくれるんだけど、きれいな人だったせいか話しかけられずジレンマでした。帰国してNHKのラジオスペイン語をしばらく聞きました。当時はスペイン国営ラジオのアナウンサー経験ある方が発音していたので、当時も今も思うんですがラテン語系の言葉は歌っているようです。イタリア人の作ったイタメシも食べました(後にイタリアにも興味を持つ)。

その後、今の金沢21世紀美術館の近くにあるスペイン料理レストランでバイトを始め、卒論が忙しくなる頃辞めましたが、FBで見つけてもらいまだ交流があります。昔良く運んでいたパエリア食べに行きたいです。

6.バイト先の近所に外国人向けのフリーペーパー作っている通訳さんがいて、のちに学校もやっていたようです(体験レッスンに出たことがある)。フリーペーパーのために「外国人がナスの天ぷら食べて『カブトムシみたい』 とか感想を言う」みたいな異文化体験の文章を頼まれて訳しました。平易なものでしたが誉められて、それがわたしと翻訳との初めての接触です。英語圏などの人がその方の家に出入りしていました。今だと外国人観光客が北陸にすごく増えましたね。

7.理系は英語が要らないかと言ったらそうでもなく、卒業研究に必要な論文は先生から渡してもらったりしますけど、すべて英語でした(複数)。原文講読(輪講と言っていたと思います)もあって、順番に論文だったか本だったかを読むのです。ただ、学部はまだ甘かったです。院に行って英語のレベルもすごく上がりました。

8.大学を地元近くにしたときから、希望の(企業)研究者になるんだったら院卒でなくては→できたら上京(なんとなく)みたいに考えていて、成績がよければ夢ではないと分かってからは親に根回しし、きつい学科だったのでアパートでも勉強していました。

9.アカハラは別のエントリで散々書いたので手短にします。大学4年で心を病んでしまいました。やっと這いずるように卒業研究に戻って実験をし、真っ赤に添削されて、自分の書いた文章の原形をなくした卒論が先生から戻り、何回か行き来して、卒業式の3日前にようやく提出できました。そのずっと前に、準学生みたいな研究生として東京の大学で置いてもらえることが決まっていたのです。卒業してから犀川で桜を眺め、翌月上京しました。

何とか朝から大学に行くに当たって、ヴァン・ヘイレン、当時大流行りだったニルヴァーナ、X JAPANなどうるさいロックとドリンク剤が気付け薬になってくれました。そういやベース(ギター)も3年生の時?買ったのでした。ブラスバンドはとっくに燃え尽きていました。ああいうしごきみたいのはよくないですね。英語などの勉強でも同じことです。

 


 

ちょうどその頃バブルが崩壊した境目でした。1年かそこらで状況が様変わりした、境目にいた人たちのことはあまり知られていません。院に進んだ人は、一部の優秀な人を除き貧乏くじを引いたようなものです。心を病んだこと、バブルが崩壊したこと、いろいろあって人生設計は大きく崩れました(割と最近ではリーマンショックで仕事激減したという翻訳者さんのお話を何人かから聞いています)。それでも何とか勉強は続けたよというのが次回の話です。

~次回に続く~

 

 

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