ヨシダヒロコです。

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現在翻訳者の仕事をお休み中で、その辺について思うことはまた書きます。まあ自分に自信を多少失っていることは確かです。このエントリは3部作で、読者の方は必ずしも翻訳者の仕事や経歴についてよくご存知ではないかもと思うようになっていたところに、歴の長いツイ友に「翻訳者がどういう勉強してきたか読みたい」と言われたのが後押しして、書こうかなと。
長年書いてるブログですけど、訳あって最初はタイトルに単なるフリーランサーと名乗ってました。タイトルをトランスレーターと変えてからしばらくして、自己紹介はAbout、経歴や仕事がらみはWorksにあるのですけど、RSSついてないしそれほど読まれてません。今度から更新したらブログに一言入れます。今回シリーズのはWorksの経歴のうち語学学習(主に英語)を詳しく書いたものになります。
小学生のわたしと外国語
小学校の時のわたしは近所の草原でよく遊んで、虫捕ったり花摘んだりして、夏休みの宿題の計画性はありませんでした。親に絵を描かせた覚えもあります。自由研究や作文(読書感想文、人権の作文、詩)で誉めてもらったり評価してもらったりしました。でも計画性がないので8/31とかにジタバタしたり、共同研究者(笑)のお母さんにもご迷惑かけたかもしれません。自由研究のテーマは「オジギソウはなぜさわると葉をたたむ」とか、ひと夏アリやカナヘビを観察したり飼ったり、生物系でした。
英語や外国に関連して小学校時代は、
- 楽器を始めて洋楽のメロディーなどを演奏
- 『赤毛のアン』『ニルスのふしぎな旅』『太陽の子エステバン』などに影響される
- 『赤毛のアン』は村岡花子訳で全10冊読んだ
- 『ニルス』にはまりスウェーデンの人と話がしたいと思う、英語勉強したい
1.については共同研究者?の真似してフルートを始めたのが小5終わり頃でした。うちはどこにでもある普通の自営で、裕福ではありません。やりたかったピアノは買える余裕なかったのです。フルートは安いものなら10万しませんので粘りました(銀とか金とかあるので上は天井なし)。音楽に触れ自分で演奏し、最初のうちはビートルズの分かりやすい曲もあったのです。原曲を聞いたのは多分高校生だと思うけど、小学生の時の演奏した『オ・ブ・ラ・ディ、オ・ブ・ラ・ダ』をヤマハのグレード試験で誉めてもらったのは、子供だったので嬉しかったです。以降、「洋楽」にずっと関わる中で相手国の文化に触れていくことになります。
これはポール・マッカートニー公式からで、2010年の演奏です。ビートルズのメンバーは全員歌えるんですが、この曲はポールがリードヴォーカルで、ジョンとジョージがバックヴォーカル、他にいろいろ複雑なことやったらしいと今調べました。ポールひとりで歌っても微笑ましい曲です。
最近はJ-POPが優勢のようだけど、One OK Rockとか海外に影響受けたバンドも日本にありますね。
こんなツイートも去年ありました。
東京メトロ半蔵門線にて、高校生達の「ビートルズってバンド知ってる?親父に教えてもらったんだけど、メッチャいいんだわ」「名前だけなら聞いたことあるなぁ」「次ライブあったら絶対行きたいわ」「ふ〜ん。俺も聴こっかな。新譜は出してんの?」という会話に、乗客一同心の中でツッコむ事案が発生。
— アメリカ・アマゾン (@America_Amazon) 2017年10月30日
2、4.について、わたしが子供の頃は親が安心して見せられる児童文学のアニメが週末とかに入っていました。他には『フランダースの犬』(地元の人は「わたしらはそんな冷たくない」と言ってるらしい)、『母をたずねて三千里』、『小公女セーラ』とかいろいろでした。話はつくりものかもしれないけど、登場人物の名、地名、習慣とか見てると何となく覚えるかも。今の世界中のアニメファンが、日本のアニメで日本好きになったようなものです。高畑さんや宮崎さんが作ったアンも大好きでしたが、なぜかわたしは、悪ガキのニルスが魔法で小さくされ、ガチョウの背中に乗ってガンの群れとともにラップランドを目指すというラーゲルレーヴの『ニルスのふしぎな旅』でスウェーデンに興味を持ちました。
当時も英語教室はありましたがうちには敷居が高く、今考えれば基礎英語のフライングすればよかったんではと思いますが行けませんでした。海外文通は中学生の時実現しました。小学生のわたしは、中学に入ったら絶対英語勉強してやる!と思ってました。
ちなみに『エステバン』ですが、これは南米のアステカ・マヤ文明などにまつわる話で、分かる人が見ると設定はいい加減だそうです。知人に影響受けた人複数知ってて、わたしが後にスペイン語やりたいと思った無意識のうちの理由になっているかもしれません。どうしても南米(といっても広いけど)に憧れがあります。刷り込みとしか思えません。
中学生のわたしと外国語
中学生の時に起きたこと
- 基礎英語を毎日聞いたためか、英語は他に何もしなくてよかったに近い
- 念願の海外文通をひとつ下のスウェーデン人の女の子と開始
- 英検5級、4級取得
- MTVという今はYouTubeにあるようなMVが夜遅くのTVで沢山流れるようになり(多分日本初)、洋楽が流行る。すごい影響される。
1.については、基礎英語は今もそうだけど6時台に始まるんですよね。お布団の中で眠い眠いと思いながら聞いていた覚えがあります。今のようにPCソフトで録音できたりCDもないです。LPレコード初めて買ったのが中2ですから。いや年がばれますね。今のように週3でなく週6だったので、なるたけ聞き落とさないように頑張っていた覚えがあります。後に家庭教師になったとき全員に勧めたんですが、なかなか難しいですね。
(NHKラジオは、今年になって30代くらいからかなりのブランクを経て再開しました。TVやラジオで他国語含め勉強している翻訳者はたまに聞きます)
基礎英語で忘れられないのは、土曜に入るキャロライン洋子さんの童謡。マザーグースなどで、何と探したらYouTubeにありました。消されるかもだけど、好きな曲を2つくらい貼っておきます。マザーグースはナンセンスなところが良くて、洋楽やいろんなところに出てきます。翻訳やるなら知っておいた方がよいです。最近だともう知っている人あまりいないかもですが、マンガ『スケバン刑事』の故・和田慎二先生も引用してました。作品名忘れてたけど『左の眼の悪霊』らしいです。
ダウンロードしたっきりですが青空文庫版でこんなのがあります。
“Three Little Kittens”は初めて聞いた当時口が回らなくて歌えなかったと思います。歌詞の解釈も教えてもらい、土曜は楽しみでした。そんなこんなで学校の授業も楽しかったというか、NHKの方が先に進んでいたようなので。
小学生の時に、上に出てきてた幼なじみのうちでマザーグースの絵本を見たらショックだったのが『6ペンスのうたをうたおう』でした。オーブンから出てきたパイから鳥が飛んで行ってて、「丸ごと焼いたの?」「死んでるのに飛んだの?」と怖かったです。イギリス人知人にさっき聞いてみたら多分こういうことだと言ってました(2つめの動画)。中世の習慣でそういうものがあり、シェフがパイの皮の中に生きた鳥を入れて飛ばし、別に作ったパイでお客をもてなすらしいのです。
2.については、今だとメル友とかSNSの友達でしょうけど、最初作るなら英語が第二言語の国の人が良いと本で読んで、紹介団体に紹介してもらいました。先方もお互いいい年になりましたが、今でも年に2回カードが行き交い、娘さんも入れてFB友達でもあります。残念ながらまだ会ったことはありません。お互いの言葉が「こんにちは」程度なら分かるようになってきました。
3.については何となくで記憶にはないです。
4.については、中3の時に初めて買った洋楽アルバムにこの曲が入っていたのですが、テンポもそこそこゆっくりしてて、歌詞カードを見てうーんとなっていました。特に分からない単語が”circumstance”でした。今聞くと”whether”も既に出てきています。これ聞いて15年後にはもうジャパンツアーがなくなっていて、ロンドン旅行の時に生で聴きました。
マドンナとかヴァン・ヘイレンとかプリンスとか、いろんなミュージシャンを中学生終わりの時期に一気に知ることになりました。歌を聞いたり歌ったりするとリズムについては多少覚えられるのではないかなと思います。リスニングについてはその3の成人以降になると思いますが、FM音楽ラジオを聞き倒し、少し変わった学習のしかたをしています。
英語というより音楽の話ばっかりだったかもしれません。本当にそうで、高校3年までブラス漬け、一応クラシックのフルートのレッスンもやってました。音大がお金がかかるものだと知らなかったら、大胆にもそう考えたかもしれません。でも『のだめ』とか読むと切ないですね。
小・中は近くの公立、高も公立です。そもそも富山にはお受験がほぼ存在しないのですが、高校は「自由な校風」という先輩の言葉に惹かれて英語に力を入れた進学校に行きました。中学校の時は特に年齢的なものもあり不安定で、まずいことにわたしは小学校半ばから大学の半分過ぎるまで自己主張が下手でした。中学の時に孤立してしんどいところを助けてくれたのは部活や趣味だったし、自己主張ができるようになった理由は、恐らくいろんな目にあっているうちに(仕事含む)「ここでなんか言わないと」みたいなことが多くてそうなったのかも、と。はっきりものを言うことが多い外国語を学んでいたことも理由としてあると思います。