ヨシダヒロコです。

亡きうちの猫です。削除したエントリより。
言葉とは怖いものだ、と思うようになったのは実は最近です。今ではアカハラとかモラハラとか言われていても、当時はその名前で知られていなかったものには過去非常に苦しめられました。両方とも結構歴史があります(モラハラはフランス人イルゴイエンヌ著の日本語訳が1999年刊)。
医学的なことを知らない人にPTSDですか?と聞かれることがありますが、主治医曰く「診断基準をわずかに充たしてないし、私がその場にいた訳ではないけど命に関わる目には遭っていない」との判断で「後遺症」が長々続いています。精神科の不思議なところは、医師が変わると診断が変わることがあることで、精神科訪問看護を受けていますが、「ニュースとかでなんでこれでPTSD?ってケースがありますよね」と看護師さんと話しています。
病的でなくとも、誰かが言った言葉が引っかかってとか悔しくてとか普通にあることでしょう。事態が重くなると、言った方は全く忘れて普通に毎日を送っているのに、言われた方は長く気にしてしまい、生活に支障を来してしまったりすることもあるでしょう。
わたしが傷つける側に回らない保証はないので気は付けていますが、どうやっても誤解までは防げず、難しいと思います。それくらい言葉は難しく、特にSNSは複雑な話に向いていません。うまく情報収集に使えば便利ですけどね。
広島時代のわたしと英語
これは、だいぶ前に書いた「翻訳者と結婚してうまくいかなかった場合の話(リンク)」の再謁に近いです。2年も持たず実家に帰りました。11.がちょうど14年前です。
- 元夫と机を並べてフリーとして翻訳(英日&まれに日英、技術系)
- 初めてTradosの画面を見る
- 家事との両立、体調の管理に苦労
- 同居人はとにかく仕事の邪魔だった
- 英語学校は紹介で大手ではないところ、少人数制
- スペイン語の学校にも通う
- スペイン語、イタリア語のNHK TV
- モラハラでいろんなことが回らなくなり、寝たり起きたりになる
- 1000ページの医学系書籍の仕事が全く進まない
- フェレットたちを連れていくこともできず、ポシェット1個でアパートから逃げ実家へ
- 後に調停を起こされ、離婚
- 病状は30年弱の病人生活で最悪だった
- 現在も広島に行くのはきつい
1.仕事は契約的に大丈夫だったのかどうか、手分けしてということもありました。向こうの方がキャリアが長いので、確かサポートしてもらうような話になっていて、助言もらったこともありましたね。
3.家事といってもごはん作るくらいでしたが(掃除・整頓が下手なので)、夕ご飯も具合悪いとか仕事とかある場合にこっちはギリギリまで何とか支度しようとし、相手はできないなら早く言ってくれと揉めました。ラーメンやつけ麺、お好み焼き(デリバリーの場合も)の外食になったこともちょくちょくありましたけど。今のわたしは1人分くらいならその辺探して何とかしますが、当時は新婚だったし頑張りたかったのですよね。それに、「冷蔵庫の中のもの」で作るのは慣れないと難しいです。結婚前に仕事のゴタゴタでかなり疲弊していたんですが結局広島で休めず、体調がだだ下がりになりました。以降に少し書きます。
4.同居人にこまこまと好みというかマイルールがあると疲れます。そういうのは傍から見ててなんでそうなのか理由が分からない場合があります。似た理由で東京時代引っ越ししました(当時の主治医もそれ分かります、と言ってた)。しかも今回同僚というか上司のような扱いでした。うちのことが仕事を侵食していく訳です。在宅だと息抜きが難しいです。事務所持つ人もいますけど。
5.今はない学校です。現在通っている富山県内の学校がここを参考にしたそうです。広島の学校はイギリス人とアメリカ人の担任が代わりばんこにいて、みんなが結構好きに喋る感じでした。
6.最初は少人数→プライベート。5.&6.はアパートから逃げたときに終了になりました。
8.& 9. 元夫紹介の翻訳会社からもらった大型案件ですが、後に心因性だろうと言われたしつこい頭痛が主で寝込んでしまうように。今もわたしは処方の頭痛薬飲んでいて、メンタルと頭痛はかなり相関関係あるそうです。仕事は富山に帰ったわたしが続行不能(受け入れ先に断られたけど主治医が「即入院」というような状態)になってバトンタッチしてもらいました。広島で何が起こっていたかは富山に帰って分かってきました。
12.広島ではフェレットオーナーさんとペット連れて集まったり、輸入食材屋・パン屋で買い物して楽しかったり、お好み焼きは出所にかかわらず好きだったしという思い出もあるのですけど、あれから1回勉強会で行きました。富山にいてもまだ苦しいことがあるので今後についてはどうなんですかね。
傷をいたわりつつ現在までのわたしと英語(専門知識も)
- 最初は翻訳者だと名乗らず、実名でブログを始める(場所は違うけど本ブログ。離婚翌年の2005年)
- 最初はProZ.com中心に受注、海外会社に泣かされる(未払い、詐欺など)。特にトラブル時、英文メールの書き方は大事。アメリアには出たり入ったり。
- Trados 2006よりTradosユーザーとなる。ここ数年で使えるツールは増えた
- 十何年前、うつ病でなく双極性障害と分かり、生活が大変なので障害年金を申請し通る
- 後に障害者手帳も取得
- 2010年くらいになってある海外会社から受注が増えたが、あまり良くない会社と分かって縁を切る(支払い遅れがあった)。その後は国内会社中心に開拓・受注したいのだけど模索中。
- イタリア語、スペイン語はNHKラジオ→Skypeレッスンや通信講座へ
- スペイン語は東京まで「通学」翻訳講座に行ったことも。難しかった
- イタリア語、スペイン語は中級くらいまでの検定に通り、もう少し頑張る予定
- 英語翻訳は東京、大阪、広島などの勉強会やセミナーに出かける(Facebook経由やJTFなどのメール情報で知ることが多い)
- 江川の英文法を全部読む
- 英訳を本で勉強(過去ログ その1 その2)
- バイオをやさしい本から順番に読んで仕事もらうまで行く(翻訳祭2017の「ミニ講演会」で発表 その1 その2)
- 2011年から隣の市で月1プライベート、フリートークの英会話教室に行っている
- 2016年に放送大学再入学
- NHKラジオを今年3言語で再開
- 以前「今日の勉強」的にあれやってこれやって、というのをSNSに書いていた。似たようなことをしている人は他にもいて、今だと「翻訳ストレッチ」が巷で流行中
- 現在休養中で、今後もこんなことはあるだろうがボチボチと

Credit: Adobe Stock, いつか行ってみたい街はいろいろありますが、例えばスペインのトレドです。
2.いい加減払えとメールできつく書いても全く堪えない常習犯もいましたので、事前に会社の評判調べておくのも大事ですね。あと、まれに電話がかかってくることがあったり、こちらから支払い遅れを催促することがあるので、海外エージェントとの取引では会話できた方が良いです。今はどうか知りませんが、中国・インドが新興国と言われていた頃、断っても意味が分からないのか超安い単価(3円~5円/wordとか)でまた声をかけてくるので、メールはフィルターしました。短期で大型案件も多いような。
6.わたしが「いち抜けた」した会社は、定期的に単価を下げ、耐えられなくなった人が辞め、の繰り返しらしかったです。来るとわたしに決まっていたような案件があったのですが、クライアントに申し訳ないとは言え、20日以上1ヶ月分の生活費が遅れるのは耐えられませんでした。欧州なら取り立ての会社あるそうです。海外はいろいろいい加減なので、やっている仕事量の割にスキルが上がらない場合も。
国内の特に大手は、既にトライアル受けたり登録したことがあったり、条件を知っていたりします。それで余計に新規開拓が難しくなっています。よく分からない機械翻訳を導入したなど条件が合わない会社を昨年切ったんですが、向こうは「そうですか」と言っておいてデータ消してないとか最近2件連続で経験しました。
8.いろんな課題があって何でもやらされるんだとも言われました。聞き取りもある場合があると(英語翻訳でも実務翻訳者に動画の字幕付けてくれという案件があるそうです)。「楽しく訳せたから出来がいいとは限らない」みたいな講評をもらいました。
9.翻訳するなら、トライアル一発なので資格は関係ありません。試験受けていく過程で面白いことを知ったりできるので受けています。イタリア語検定は準2級に惜しいところで落ち続けていて、先生には翻訳まだまだと言われています。スペイン語検定3級にB判定で落ちた後、DELEというスペイン政府の試験(B1)に落ち続けています。わたしが英検を信用できないのは、DELE試験官が試験(厳しいらしい)でちゃんと選ばれていて、いろんな国から来ているのに発音もばらつきがないから。受験料がお高いのでそこまでできるのかもしれませんけど。
10.セミナーは出ればいい訳ではなく、自分なりに復習しないと(自らに言い聞かせている)。治験周りは自習の方法ない訳じゃないらしいですが、また翻訳講座受けようかなと考え中です。
11.この本です。自分がいい加減だったと実感したような。他にも自分が知らないだけでいい本はあると思います。正直冠詞などは今でも英訳でボロが出ているので読み直すかな。Logophileに入れたロイヤル英文法を最近使っていますが。日向清人先生の本も気になります。
14.イギリス人の先生が主です。ですけど、2年ほどなかなか定期的に行っている余裕がありません。家族経営的で、兄弟に順繰りに習っているところです。来月BBQもあるし行くぞーと思ってるんですけどね。先生たちがパブ(バー)を建てて夜はお店の人になり、お酒や料理出してくれてたこともありました。
15.放送大学はずっと前に何もしないで辞めたことがありましたが、現在院にも学部にも籍があります。初歩イタリア語を視聴(のみ)、他に理系中心で履修しました(精神医学、生物学、言語学を大学院で、物理学3科目を学部で)。この間、昔は点数取れなかった物理の専門科目を終わらせたところ。対面授業もあります。来期は息切れのためお休みすると思いますが、過去の化学科時代の単位も生かして物理方面で修士号を取りたいなと思っています。なのでこのブログは物理の話が多いのです。
16.ビジネス英語は「入門ビジネス英語」「実践ビジネス英語」と2つあります。前者はビジネス現場で「人の心を動かして」ビジネスを円滑に進めるものの言い方が参考になり、後者はアメリカのビジネス周りのトレンドについて突っ込んだ話。他の言語も夏に体調崩して遅れまくりです。
17.翻訳ストレッチについてはTwitterでハッシュタグ探すとあるんですけど、改めて書くかもしれません。
18.ボチボチに持っていくのが難しいこともありまして、本当に仕事と体調の波は何とかしたいですね。翻訳者は勉強してなんぼなんですけど、仕事があって調子が良くなく勉強が重なるとえらいことになることがあり、ペース配分も大事です。
今『半分、青い』を惰性で見ていますけど、鈴愛があれほどやりたかった漫画家を辞めたあたりのところは心に残りました。くらもちふさこさんも見ていたようで、こんな記事があります。このお話、自分の仕事に引きつけて考えるとすごく分かります。続けていると、現在経験中のことも含めいろんなことがあるので。
くらもちふさこ 朝ドラ鈴愛に「漫画をやめてほしくなかった」 (アーカイブ)
最後に、物理学者ニールス・ボーア(コペンハーゲン生まれのデンマーク人)の言葉を引用します。量子力学を提唱し現代の物理学を開きましたが、アインシュタインは「神はサイコロを振らない」と量子論を認めず論争になりました。2005年のわたしはまだ大分体が大変だったはずなんですが、こんなエントリを書いていました。
引用します。
An expert is a person who has made all the mistakes that can be made in a very narrow field.
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大分前の「日経サイエンス」上で「あらゆる失敗をしたものが専門家になる」と紹介していたような気がするのだが、そしてすごく励まされた気がするのだが。ふと原文(英語でいいのかな?)を当たってみた。「非常に狭い分野で」っていうのが抜けている。
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失敗しても次に生かさないとダメだと思うんですが、これを自分の研究HPに書いている研究者もいました。確かに励まされる言葉ではありますね。ボーアの言葉は物理関連の他にもなるほどと思うものがあり、日本でも人気があるのは頷けます。
残念ながら、わたしがこのように努力しても必ず成功するとは言い切れない(100%ではない)のが翻訳という仕事だと思います。物事に100%確かなことなんてありませんが。好きという気持ちだけでもやっていけず、なかなか難しいことですね。異論のある人もいるようですが、仕事の継続獲得についてわたしの周りでは口にはいちいち出さないけど悩みを持っている人が多い印象を受けます。
自分のやって来たことを10年強分の過去ログに書いてあります。最初の方はあまり内容ないんですが、参考になるところは持っていってくださいませ。
そういうわけで、長々書いてきた自分の勉強歴(人生も?)はひとまず終わりです。
~おしまい~