ヨシダヒロコです。
「世の中にはいろんな人がいて」とある時誰かが言いました。
今年ももうあと3ヶ月しかないのですが、今の所そういうことが頻発してます。
別に政治の話をしたわけではないのですが、「この人ってそういう人だったんだ……」と愕然とすることが多かったのです。わたしは「いざというときに『その人』が分かる」というポリシーでいて、タイミングによっては非常に分かってしまったことが心に痛いこともあります。
「地獄への道は善意で舗装されている」という言葉があって、「はてなキーワード」によると、善意でしたことが悪い結果に、というのと、善意を実行しなければ地獄に落ちるというのと2つあるそうです(原文”The road to Hell is paved with good intentions”)。前者の意味だとして、相手が善意で言ったりしたりすることが悪く出ると本当に悲惨だなあ、とつくづく思っているこの頃です。わたし自身も「やっちゃった」っていうのが把握している限りで1回はありました。
で、政治や宗教の話は本当に気をつけないと危ないのですが、このところ特に東京方面のネット知人の様子を見ていると、デモに行ったりして大変そうでした。黙ってられない何かしたい、って気持ちは分からなくもありません。田舎でしかも夏の疲れを引きずっているとそれどころじゃなかったですが(科学系メルマガを読んでいて「そうだ、地球温暖化…」とやっと置かれた状況に思いいたるくらいでした)、昔、広島の英会話学校でイギリス人教師が「日本では重大なことが大した議論もなく決まってしまう。自衛隊のイラク派遣とか」と言っていて、返す言葉がなかったことを思い出していました。さすがにここ2日ほどはちらほらネットや仕事の合間にニュースをチェックしていました。
その前から気づいていましたが、カオスなTwitterなどでは「この法案は正しい」って人もいて、挙げ句の果てには反対する人をバカ呼ばわりしだして、そっとフォローを外したりしました。正しいと思うのは自由だけど、それに「戦争法案」とかいう言い方やまるで徴兵制が復活するような言い方は反対派の中でもどうかと思ったけど、ものには言い方があるよなあと。
わたしは以前塾の個人指導や家庭教師をしていて、高校では世界史しか勉強してない(しかも成績よくなかった)のですが、成りゆきで日本史も少し教科書見ながら説明することあったと思います(担当は歴史ではないです)。日本史・世界史履修の人は死ぬなあと思いました。現代史はどっちの科目でもあまり深く教えないようで、覚えているのは中学校の公民の教科書でどんどん変わっていった細かい野党です。今はもうついて行けてませんし、教科書の改訂もついて行ってないでしょう。
法案に反対する人の中にも、わたしと考え方が違うな、という派はいましたが、とりあえず頑張ったというか抵抗はしました。「山が動いた」みたいなことにはならなかったけど、わたしは10年ほど前にかつて姻戚だった人が選挙に出たという経験があるので、こういう世界は難しいもんだなあと知っています。
わたしの周りでは、保守王国の北陸ですら、「力のある野党が出てきてくれたら」的な話は聞く気がします。今の所はそうなる気配がないのが残念ですが、少なくともこの法案は通るときに揉めた、ってことが歴史に残るのでは。ある人は「学生運動以来」とか「樺美智子さん」とか言ってました。
もちろん「法案が通ってよかった」って国民もいるはずだし。
人は背景や生い立ち、経験で全く違う考え方を持ちます。それをどうすることもできないし、いわんや政治信条においてをや、です。
イラクに派遣された自衛隊員の自殺が多いと聞いていますし(データはすぐ出せないのですけど)、後方支援って言ってもいきなりどこが前線になるか分からないです。その点が心配で、あまり困ったことにならなければいいのですが。ともあれ、歴史の教科書には新しい行が加わるかもですね。戦争終わって70周年目というのが皮肉ではありますけれど。
(2015/09/20 追記:イラク派遣の実態と、ホルムズ海峡に派遣された方の体験を貼っておきます)
安保法案:「本当にやばい状況だった」イラク経験者の憂い 魚拓取れなかったのでEvernoteのリンク
ホルムズ海峡「無知、ピンボケの質疑応答に唖然」元タンカー乗り、怒りの直言(上)
写真は、Googleが加工したコスモス、去年のものです。