『かぐや姫の物語』(2015/03/24、4月&5月鑑賞)の簡単なレビュー。

ヨシダヒロコです。

一昨年の秋、東京滞在中に劇場公開初日をニュースで見ましたが、『風立ちぬ』公開終わり頃に映画館に観に行って、予告編が入ったDVDもらったんでした。これは映画館で観たかったですね。地上波で放送したので録画して2回見たのですが、気がつくと最初の方が切れていたので一手間かかりました。

予告編で、中国語少し入ってますが長めのものです。(2018/05/20 11:20追記:予告編は消えたので、長めのものを英語圏から持ってきました)

まず、『竹取物語』は誰でも知っている話かとは思ったのですが、映画を観て原典に当たりたくなったのでこのサイトで原文・現代語訳ともに読んでみました。中学校のときに冒頭部分を習ったようで、その後子供たちに古典を(たまに)教えたりしたので断片的に接したのかもしれません。大人になって、学生時代に授業他で読んだ作品を読み直すと、ずいぶん感想が違うことがあります。『竹取物語』もそうで、かぐや姫は美しいだけでなくとても優れた女人だったのだろうなと気付きました。

竹取物語 [かぐや姫] ― 全文全訳(対照併記)

一言でいうと、『かぐや姫の物語』のかぐや姫はありのままの自分を男性に対して認めてほしかったのだろうな、と。「美しい」とか「琴が上手」「声がきれい」だけではなく。アニメは現代的な解釈だという気がします。今日日の美女もそういうこと思っていそうですから。

幼少の頃から翁や媼に可愛がられ、育っていくところが丁寧に描かれていて、幼なじみで年上の男の子が出てきます。「竹の子」と呼んでかぐや姫を可愛がってくれます。『筒井筒』みたいですね。かぐや姫を受け止めてくれるのはこの「捨丸にいちゃん」と帝くらいでしょう。原作では帝に愛され、でも宮仕えはしないのですが、長いこと文のやり取りをします。かぐや姫が月に去ったあと、嘆いている様があわれです。

アニメでのすばらしいところはかぐや姫が生き生きと躍動しているところで、正直冒頭部分の原文からこういうビジュアルを想像していませんでした。嬉しかったりひどく悲しかったりするところを動きのあるアニメーションで表現していて、それがそのまま感情の動きになっている気がしました。

最初に見たときの感想は「女って不便だな」だったんですが。それは、年頃(10歳とか)で裳着の式をし、結婚相手を見繕い(でなければ宮仕え)、御簾や牛車のうちからしか外を見られず、「美しい」といううわさだけでやって来た男性の相手をして文のやり取りをし、というのが確かに姫のいう通り「わたしは誰にも嫁ぎません」と言い出しても違和感ないので。現代に生きるわたしには。今は今で別の不便がありますけれど。

平安時代は平和でしたし、書かれた作品も色々あって、源氏物語のマンガ化である『あさきゆめみし』(大和和紀)を高校生の時から数回読みました。実際、結婚制度は通い婚なのでいろんな意味で融通が利いたらしいのですが。結局人間の根本は変わってないんだなと思います。

何回か見たくなるアニメだったなあ、と。また見たら感想が違うだろうから楽しみです。

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