あれから3年と言うけれど……&被災馬救済について。

ヨシダヒロコです。

3月11日は、被災地域の人から回ってきたツイートで「もう3年なんて言って欲しくない(何も終わってないから、という意味)」というものを見かけたので、そしてわたしもTVなどで生々しい映像を見たくなかったので、やるべきことをやりながら静かに過ごしました。

14:46には通院のため電車の中にいました。意味があるかは分からないのですが、黙祷はしました。これは「気持ち」だけで、被災者の方々の何の役にも立たないだろうことを意識しながら。

震災が風化していっているのを感じます。

ところで、わたしはほんのたまになんですが、「NPO法人 引退馬協会」というところにわずかな寄付をしています。以前、非常によく読まれている鎌仲ひとみさんに関してのエントリで書いたことがあると思います。正直、UNICEFや赤十字あたりの大きすぎる組織が信用できないのですよ。日本ユニセフはUNICEFとは別組織ですしね。

父が競馬好きだったことから、小さい頃に競馬場に連れて行ってもらったことがあり、哺乳類では犬猫の次に身近だったかもしれない馬。近くで見たことはないのですが、とても人のことをよく分かっている動物だと言います(賢いから好きというわけではありません)。

このNPOは小さいところながら、2000万の寄付を年間集めています。大型動物の世話にはお金がかかりますから、この金額が大きいのか小さいのか分かりません。ですけど、見ている人は見ているんだなと。

HPから引用します。

年末には、「馬の避難所」で、南相馬市の負担により管理していた馬24頭に”食肉として屠殺をしてはいけない”という目印の「焼印」が施され、20キロ圏内の元の厩舎に帰りました。しかし、被災馬を引き受けたいと譲渡を希望している方々への県外移動許可は下りないままで、飼い主は今後はたくさんの馬を抱えた、飼い主負担の飼育が余儀なくされます。また、20キロ圏内は人の生活は許されない地域ですから、飼い主は避難先から通いながらの飼育管理となります。

 

一方避難先で生活する人の中には、長引く先の見えない状態に、震災前に家族同様に飼っていた馬を、知り合いの厩舎に預けたまま、手放さざるをえなくなる人、あるいは、預けるところが定まらず、転々とするうち、結局は20キロ圏内の誰も住んでいない、元の厩舎に戻すしかなかった人もいます。

これらの現状は、今後さらに厳しくなる状態と考えられ、引退馬協会としては、移動できない馬の飼料援助と、行き場を失った20キロ圏内に住んでいた馬たちへ援助が必要になっていると考えています。

 

馬を救いたいと願う多くの人の声で救い出された馬たちです。馬たちによって経済的にも精神的にも飼い主さんたちが追い込まれないように、譲渡予定の馬が最後の一頭まで移動できるまで、また、避難生活の方々の馬が安心して暮せるよう、皆様の温かなご支援を賜りたく、ここに改めてお願いする次第です。

 

皆さまのご協力を、何卒、よろしくお願い申し上げます。

相馬野馬追には、いつか是非行ってみたいです。あるドキュメンタリーで、妻子と馬を失ったばかりの初老の男性が、それでも馬追に出ると馬を借りて甲冑に身を包んで、というのを見ました。あれが忘れられません。

馬には口がきけません。もし、これを読んで少しでも寄付をしようと思って下さる方がいらしたら、とても嬉しいです。

最後に、馬ではなくて原発処理の話で興味深い話を今日見つけたので貼っておきます。Twitterでは有名な原発作業員さんのインタビューです。

【3.11】福島第一原発の収束作業現場は3年でどう変わったか? ベテラン作業員のハッピーさんに聞く

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