1個前からのエントリの続き。
(13:46:追記があります)
雨さんは精神保健福祉士(精神科ソーシャルワーカー)さんで、複数の自殺相談窓口にて電話他の相談業務を行っています。こんなことはご本人にとってはわたしが書いても余計なことかもしれないけど、雨さんは身体をむしばむ病(爆弾のような…)を抱えて暮らしています。普段はお友達との話やたわいない「作ったごはんが美味しかった」って話も入りますが、ご自分の病に絶望したりすることも。相談業務の中で感じたこと(もちろん守秘義務には触れていない)を書いていることもあります。
そんな中で、希死念慮(死にたい気持ち)について連続ツイートされているのを見つけたので転載しておきます。先方からはフォローされていないので、いったんアップした上でご本人にツイートし、から「この文脈ではちょっと」とおっしゃられたらエントリごと消すかも。
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雨 @rain_00 2月27日
死にとりつかれた人は、死のことしか考えられない。それを業界用語では視野狭窄といいますね。
雨@rain_00 2月27日
そこで、「死にたい!」と言ってる人に、「あなた視野狭窄になってますよ」 と言ってもアホかって感じなので、別のアプローチするけども。基本的な捉え方は視野狭窄になっているから打開策を思いつく/ 選択、出来ないということが主だと思う。
雨 @rain_00 2月27日
「死にたい!」ってすごい勢いで言われると「そうかそうか、それだけこの人ホントは生きたいんだな…」と思う。しみじみ思う。死ぬ以外のコーピング方法をずっと模索しているからつらいんだろうなと思 う。そこにどうすればいいのかというのは手強いんだけど。
雨 @rain_00 2月27日
「死にたい!」も「死にたくない!」もどちらも「生きていたい」という意味ですよ。突き詰めれば。当人に言っても全否定されるけどそれはもう決まりきっていることだから、死にたい人はそのまま死ねば?ではダメですよ。死にたい人は死にたくない人なんだから。
雨 @rain_00 2月27日
で、その死にたい人は死にたくない人で、ずっとSOSを出し続けている人である、ということを誰が知らないといけないかというと、その人の重要他者です。それを踏まえた関わりをしなければいけません。諦めてはいけません。その人は生きていたい人なのです。重要他者の言うことならまだ入るから。
雨 @rain_00 2月27日
ま、Twitterで僕が出来ることなんて希死念慮のカラクリがどういうこ とかをこう垂れ流してはあわよくばその人の重要他者の目に触れて、その重要他者の人達の振る舞いが変化すれば助かる希望もあるのではという回りくどい方法 しかとれない訳です。どうせ僕の言葉なんて遮断されているのです。
雨 @rain_00 2月27日
いけ好かない人でも見知らぬ人でも、希死念慮からの実行をみすみす見過ごす のは僕の信念に反する。反するって言ったところでだから何だよ、って話だけど。
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わたしからすれば重要他者とは、今はいないけど配偶者やパートナー、親友(近い人はいるけどどうなのかな)や仲の良い友人、そんなところでしょうか。もちろん、同居の親に泣かれたりしても参るわけですが。ただ親とは意見の相違も多く、重要他者とは呼べないかも……。
重要他者のいざというときの振る舞いはその後の結果を左右します。たしかに何度も「死にたい」と言われると言われる方は消耗するし、ウザいとまで思うかもしれません。それは承知の上で言いますが、上にあるように「だったら死ねば?」的な扱いはわたしは過去2回受け、2回とも救急で胃洗浄という羽目になりました。後で謝り倒したり未練たらたらになるくらいなら、そういう行動しなきゃいいのにね。もちろん大量服薬だけが未遂とは思ってませんが、話がややこしくなるので割愛。あと「本当は生きたいんでしょ?」と友達に言われましたがこれも逆効果かな。他に「自分は死なれたら悲しい」という人もいて、今の年齢なら気持ちは分かるのですが若い人には逆効果かも。それって自分の都合では?と思われかねないので。
結構未遂してもあとが馬鹿らしいんだよ(例えば医者での保険効かないし)、ってことを分かってくると自殺の企図も減ってきますね。
さて、これがアカハラで追い詰められた院生とか大学生の自殺防止とどうつながるかというと、視野狭窄まで起きてしまうと大学人の出番はすでにあまりないかもしれません。もうギリギリのところだから。ただ、普段から心ある人が「味方である」ことをちゃんと伝えていれば、本人が絶望すること自体が減ってくるかもしれません。ただ、学業上の悩み(結果が出ないとか論文が進まないとか)は、深いほど、何となくですがひとりで抱えてしまいがちな気もします。
まあ色々わたしが言うより、雨さんのツイートを参考にされたらよろしいんじゃないでしょうか?まわりにもしSOSを発してそうな人がいた場合。ですが、直接相談することは医療関係者にはおやめになった方がよろしいかと。よくマスコミなどで言われる相談窓口は、本当にいろんな相談員さんがいらっしゃるのでかける方にも人を見抜くスキルが要るような気がします。良く話を聞いてくださる方に当たれば、楽になれるかもしれません。
アカハラ関係も自殺関係も今までも散々書いてきたので、取りあえず今の所書けることはもうないです。何か出てきたらまた書くかもしれません。
次から普段通りに戻ります。
(13:46追記:「重要他者」に主治医が入っているかという話ですが、わたしは信用出来る医師を探したらなかなか変えないので、もちろん入っています。つきあいが長いので、「ああ、これは本気だな」というのはよく分かりますよ。何回か止めてもらいました)
(2016/10/14 19:19追記:思いがけず長期にわたって沢山のアクセスを頂いておりますが、春頃に自殺問題・薬物問題・自傷問題が専門の松本俊彦先生がコラムを書かれました。わたしにもこういう実感があるし、何かの折りには参照してくださいと主に啓蒙として言及しています。松本先生の本を買ったのでレビューしたいのですが、医療者向けなのはいいとして少し余裕がありません)
松本俊彦のこころと向き合う/12 覚悟の自殺はあるのか(有料・登録記事)
http://mainichi.jp/articles/20160310/ddm/013/070/018000c
(2016/10/17 23:45追記:どうしても魚拓が取れず、このエントリの閲覧者はとても多いので読んで頂きたく、仕方なくスクリーンショットを取りました。毎日の記事はどうせ消えますし)
人の苦しみを分かる人はというよりほっとけない人情あつい人ですね心が洗われます
ヨシさん、初めまして。
このエントリ実はかなり切羽詰まったキーワードで多くの方に読まれています。雨さんは今は院も修了して、研究者としてもやっていくようですよ。お体を大切にして、念願の学位を取って頂きたいものです。
精神疾患を患ってるものです。
死にたいも死にたくないも生きたいというのは正にその通りだと実感してます。
苦しい発作や絶望感でもう死にたいとも思うし、死への恐怖に囚われ死にたくない死にたくないとなることも。
矛盾しているようで、一貫しているのは元気を、自分を、希望を取り戻したいということです。私も雨さんのような方と知り合えたらと思いました
だみーさん、初めまして。
未遂は山ほどしていて、その上で言えることを書いています。
そういえば「本当は死にたくないんでしょ!」と友達に言われたことありました。でもたぶん、それをそのまま言ってはいけないんでしょうね。
Twitterでは一方的にツイート拝見しています。見るだけならだみーさんもできますが、こういう熱いことしゃべることは最近少なくなったようです。
ともかく、お互いボチボチ行きましょう。