アカハラ被害体験とそこからの救済について(長いです。2015年と17年に追記)。

学部時代にアカハラを経験してうつを発症し、別の院に進み、うつが治らず院をやめていろいろあって今は翻訳者をやっているものです。

最近読み始めた方はご存じないと思いますが、昔はわたしもどんよりしていることが多かったですし、それなりにヘヴィな内容を書いていました(このブログは2005年からあります)。例えば「自殺」でブログ内検索をすると沢山出てくるはずです。元未遂者として何かしたかったのです。今回は「生き残り」として何か書いておこうと思います。以前の繰り返しが含まれると思いますがご容赦ください。

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わたしが4年生時に進んだ研究室は、厳しいと言われる学部の厳しいと言われる学科の、キツいと噂のところでした。午後一でよく居眠りはしてましたけど、教授の講義(有機化学、なんか他についてたと思いますが忘れました)に感銘を受けたためです。

教授は見るからにいかめしい方でしたが、発病したわたしにとても気を使ってくださり、病状が重くならないようにしてくださいました。朝起きるところから苦痛で、研究室に出てくるのも大変だったのですが、「早く帰りなさい」とかよく言ってくださいました。

問題は、今ではもう20年も経ちましたし恨みには思ってないのですが、事実として書きます。このブログにもサイトにもその院生の名前はないですし、糾弾が目的ではないです。とにかく、直属の院生に怒鳴られました。典型的な優等生としてそれまできたわたしはそういうのに慣れてなくて、何かするたびに「また怒鳴られるのではないか」とびくびくするようになりました。当然、割る器具の数が多くなります。実験も失敗します。また叱られます。悪循環です。

しかも、割った器具の金額を研究室で棒グラフにされていました。わたしは紙の端っこを突き抜けていたと思います。「馬鹿野郎」などはよくあって、「死んじまえ」と付くこともありました(本人は覚えていないそうです、ま、そんなものです。でもずいぶん後になって、本当だったら謝るという意味のことを言っていました)。

わたしは5月には学校に行けなくなり、6月には体重が減って昼間はまともに歩けなくなり、内科から始まって病院をうろうろした末、直観で入った神経内科に8月頃拾ってもらえました。今ではこの標榜は使えないらしいです。今言うとしたら心療内科かな。いまは代替わりして神経科・精神科のはずです。同じ病院にまだ通っていますから。

最初は「適応障害」だったはずで、いつのまにか「うつ状態」(「うつ病」から変遷して今の躁うつ病になったのは20代後半以降のこと。学生のころはもうちょっと軽かったのでしょう)になっていました。バイト先では信用されていたので、あとうつ系の患者は夜は調子がまともなこともあってしばらくは働いていましたが。

保健管理センターや保健室も行ったり来たりした末、8月に「やはり学校に行って卒論を書く」と決めました。それまでは本気で辞めようかと思っていました。院生の方も悪気があったわけではなく(話し合いはしました)、今考えると教える側の人間として少しやり過ぎたのだと思います。わたしがそういう診断を受けたことにショックは受けていた模様でした。

それなのに、その院生が助手になって残ることになりました。

もともとわたしは3年生の時から外部の院を目指していたので影響はなかったのですがショックではありました。研究生として置いて頂ける研究室を訪問したのはいつだったのでしょうか。発病後であることは間違いないです。結構洗いざらい喋ったかもしれませんが、先生は「自分もそんな気分の波があるかも」とおっしゃり、学費も科研費から援助してくださいました。卒論はスタートが遅かったので卒業式の3日前まで書いていましたが、締めの実験とNMR測定はその院生がやってくれました。

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上京し、研究生の間に院試の勉強をして、3大学のうち2大学目で所属していた研究室に受かったので、残り2校はお手紙を書いて辞退しました。その大学は研究室の雰囲気がとても自由で、助手の方も「厳しく言っても仕方ないからね」という方だったので、「ここに来て救われた」と思いました。実際、環境を変えてどうにかなるケースもあるようですね。

ただ題名と裏腹になってしまいますが、わたしは完全な意味で救われることはありませんでした。下宿先を出て始めたひとり暮らしが向いていなかったのかもしれないし、とにかく病状が落ち着かなかったのです。元主治医の紹介で電車に30~40分乗って医者に通っていましたが、診察で話聞いてもらったのに病院を出たところの椅子から動けずボロボロ泣けてきたり、山手線の中でもそんなことがあったり。自分でもどうしてなのか分からないのです。そして、朝から学校に行きたくても深刻な睡眠障害になっていて、簡単に言えば昼夜逆転でした。起きたら昼の3時だとか。学校のコアタイムは9時から7時くらいだったので、どだい無理でした。

音楽にはまったこともまずかったと思います。院生の中にはその辺をスマートにこなしている人もいましたが。

修士論文のテーマは与えてもらっていたはずなのですが、遅々として進まず、医師のすすめで富山と東京を行き来したり休学したり、内科入院を勧められたり。絶望して試薬を持ち出すことを考えた(タイミング良く鍵が付いたし、管理者責任に思い当たり自分でも思いとどまったのですが)したことすらあります。

そんなだから、周りについて行けるはずもありませんでした。大学を嫌いになることは、かろうじて2校目の大学のおかげでなかったのですが、退学した後自分の荒れたこと。余談ですが、このあと知らずにブラック企業に入り、すぐに「自己都合で」辞めさせられるようなことになり、組織が向いていないのがよく分かりました。やむを得ず似たような経験をもう1回し、フリーでやっと楽になった感じです。

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アカハラ解決に結論があるとすれば、わたしが思うに、

1)アカハラをしている本人に話が通じるようなら、何とかなることがある。
これでひとり助かりました。卒業後母校に寄ったとき、わたしのような目に遭っている子がいたので。

2)環境を変える。
(2015/04/10追記:時々読みに来られる方がいるので。わたしの時代には無理でしたが、研究室は今では変われるそうですね。そういうことで無事卒業できた例を聞いています)

命の危険がある場合は、

3)休学・退学もやむを得ないと今では思います。これは「逃げ」ではないです。
ただ、履歴書上はあまり良くはないですよね……。

自分の体験から言えることは、これくらいでしょうか。

もしある方のツイート引用の許可が取れれば、希死念慮(死にたい気持ち)についても書きたいと思っています。

(2017/01/25 23:32追記:このようなアカハラ対策の文章で法テラスを勧めていたものがありましたが、わたしは離婚したことがあってその後くらいに法律扶助から制度が切り替わりました。こちらが有責という認識はなかったのに調停にされてしまったのですが、無料相談を役所などで頼むと弁護士さんも変人か?みたいのからさまざまな人がいましたね。法テラスは1人になってからお金の問題で依頼しましたが、金が取れそうもないと思われたのか誰も手を上げてくれませんでした。すごく相性があるのはカウンセラーなどと似ています)

(2017/01/27 14:01さらに追記:前に読んだ友人にちゃんと伝わっていなかったので書くと、アカハラで発症してからずっと病院通いです。今で26年。診断は最終的に遺伝も絡む双極性障害(躁うつ)となりましたが、パワハラやモラハラの後遺症は続いていると思いますし診断されています。そういう支配的な人、小さい会社の社長さんとかにたまにいます。
いじめと同じくアカハラは社会に出てない学生の一生を大きく損ないますが、自治体がやっているこころの何とか相談みたいなダイヤルでも知られておらず、95%(体感値)の相談員には「初めて聞いた」と言われます。

理系のある分野ではツーツーに通じる話題ですが、文系出身で通じない専攻の人もいるとよく感じます。文系にハラスメントがないとは言ってません。大学の窓口も機能してないことがあるらしいとTwitterなどで読んでいます。ブラック研究室や会社など見分けられればいいのですが、少なくともわたしは有効な方法を聞いたことがないです。分かるのは入った後では?)

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