こんにちは。富山で化学を中心とする技術翻訳をしていますヨシダヒロコです。医薬との2本立てが夢なのですが、なんだか寄り道ばかりです。
ガセネッタ&(と)シモネッタ (文春文庫)
軽妙な語り口で通訳にまつわる裏話を。いつ通訳業が生まれたかという話が興味深い。
この方の本は「不実な美女か貞淑な醜女か」(これは記憶をたどるとかなりまじめな本でした)に続いて2冊目。だいぶ前に読んで、ずっとブログに書きたいTodoとして残ったままだったのです。今日やっと書けて、肩の荷が下ります。
翻訳や通訳に関係のない方が読んでも楽しい、ユーモラスで知的な語り口がこの方の持ち味です。がんを発症した時、当時連載中だった「週刊文春」の書評欄が病気に関するもので埋まってゆくのを見るのは辛かったです。あれほどの知性を備えた方がどうやら怪しげなクリニックに引っかかってしまったらしく、あまりに早く逝ってしまわれることになりました。
さて、上の1行紹介で書いた「通訳業の起源」に興味のある同業者の方もいらっしゃると思います。P111~112より引用
いったい、いつどこで通訳業が芽生えたのかということになると、人類の歴史と同じくらい長い歴史を誇る以上、人類誕生に関してと同じくらい定かではないのは致し方ない。
ところが、通訳の最高峰と思われている同時通訳の誕生については場所も時間もかなり特定されている。ちょっと気の利いた会議通訳の理論書や実践書の前書きには、ほとんど必ず記されているほどだ。職業としての同時通訳が産声を上げたのは、ナチスの戦争犯罪を裁くために1945年11月から翌46年10月までニュルンベルクにて開かれた国際法廷であったと。
実はこれには前史があり……と米原氏の話が続きます。1920年代に「同時通訳装置」なるものの特許を既にIBMが取得していたと。長くなるので割愛しますが、なかなか興味深いです。
あと、わたしも知らない人とオフなんかで飲んで「翻訳者です」と名乗ると必ず言われること。
「じゃあ、英語ぺらぺらなんですね!」
相手に悪気がないだけに厄介なのですが、日本では通訳者と翻訳者はおおむね区別されているのです。字幕や吹替ではリスニング力も必要とされることがあると聞いていますが。
それが、ロシア語通訳の米原氏までも同じ質問に悩まされていたとは。
P192より引用。
大方の日本人にとって、いまだに「世界」とは何をさておきアメリカであり、「外国語」とは何をさておき英語、「国際化」とはアメリカの意向に従うことを意味する場合が多いみたいなのである。
ちなみに米原氏は英語が苦手だそうです。このブログを読んでいる方にはスペイン語・イタリア語の学習者の方々も多いでしょうし、わたし自身アメリカ中心の考え方には与したくありません。アメリカで教育を受けた偉い日本人の方(たしかアメリカで教えた経験があるとか)がLinkedInで「グローバル化とはアメリカを中心とするもの」と言い切っていたのには驚きましたね。個人的には、色々葛藤があってやっとアメリカ嫌いを克服したところなんですよ。もちろん個々のアメリカ人は別ですけどね。
軽い読み物として、ご友人の田丸久美子さんと共にお薦めしたいエッセイストです。特に、英語中心にならないように、他言語の視点も取り入れたいものです。