こんにちは。富山で化学を中心とする技術翻訳をしていますヨシダヒロコです。医薬との2本立てが夢なのですが、なんだか寄り道ばかりです。
この本は1月に確か読了して、何か書かねばと思いながらずっと時間だけが経ってしまったものです。どうも震災前から企画されていたような話をどこかで読みました。
1章 科学と科学でないもの 菊地誠
2章 科学の拡大と科学哲学の使い道 伊勢田哲治
3章 報道はどのようにして科学をゆがめるのか 松永和紀
4章 3.11以降の科学技術コミュニケーションの課題 平川秀幸
付録 放射性物質をめぐるあやしい情報と不安につけ込む人たち 片瀬久美子
1章の菊池氏は、他にも著作を読んでいることもあって、わたしにとって目新しい内容はなかったと思います。ただ、震災後雨後のタケノコのように怪しい科学が沸いてきたので、ニセ科学にはまらないよう呼びかけることには意味があったと思います。
↓ざっと言えばこんなものです(EM菌などはまだ新聞に載った載らないとか、効果があるないとかうるさいですね)。最近ご本人のツイートで知りました。pdfです。
#震災以降「御用学者」と言って学者を叩くことが流行りましたが、そのやり玉に挙がった菊池氏はもともと東北ルーツの人だと言うことを、みんな知っているんですかねえ。
伊勢田氏の文章は正直内容的には期待していなかったのですが、難解ながら面白かったです。「モード2科学(と言っても、科学に留まらないらしい)」の実例を紹介しています。やはり読んでも分からないながらも、科学史のブログを読むようになりました。
松永氏の運営するサイトFOOCOM.NETは目にしたことはあったのですが、何となくバイオ方面が不得手なもので読まずにいました。ここで述べられているのは、遺伝子組み換え食品がそんなに危険なものか(ちょっと植物育てたことある人なら分かるでしょうが、どんなに虫が付くか)、花王のエコナ問題、外来植物の問題とエキサイティングでした。以来、「うーん難しい」と思いながらブログを読んでいます。
この間、帯広畜産大のBSE講演会でも講演された平川氏は、トランス・サイエンスの立場から3.11に付随する問題の処方箋を説きます。読んでおいて忘れていたのですが、イギリスでもBSE以降、科学者への不信が広まったのでしたね。そして、イギリスで始まったサイエンス・カフェは日本風に味付けされ、議論ではなく専門家のレクチャーが中心となっています。
「トランス・サイエンス」(trans-science)という言葉は、「科学に問うことはできるが、科学(だけ)では答えることのできない」領域を指す造語である――月刊「市民科学」2007年7月
わたしは、あの震災以降日本がまっぷたつに分かれてしまったような気がします。別れてしまった半分は、もう半分の意見を決して聞こうとはしません。こんなので、サイエンスコミュニケーションが成り立つのでしょうか。
付録の片瀬氏は、BLOGOSに出た時「すごーーーい」と思った記憶があります。今またぱらぱらめくってみましたが、そう言えば味噌玄米むすびで放射能を撃退、なんてマクロビのトンデモもありましたね。一時よりは沈静化したものの、マクロビ信奉者が少なくなったような気はしないし、EMも、怪しい医師や学者もまだ幅をきかせているし、友達がはまりそうになっていたら、あまり上から目線にならないよう教えてあげた方がいいでしょうね。
そういうわたしも、以前人のことは言えなかったことをここに再謁しておきます。
わたしもいっちょう黒歴史を曝すか。
最後に、菊池氏の「科学と神秘のあいだ」はさらさら読めるエッセイで、音楽好きには楽しい本でしたが、慶応大学の呼びかけに応じて被災地へ送らせていただきました。
わたしは理科系の教育を少し受けただけという一般人です。ですが、一口に「理系」「物理学」と言っても、その内容は大変幅広いことをいわゆる「文系」の皆さんに知っていただけたら嬉しいな、と思います。平たく言えばコンピューターをいじっているのが仕事の人と、原子炉が専門の人では英文学とインド哲学くらいの違いがあるのです。ぶっちゃけていえば、わたしは物理で赤点ばかり取って、とても進学できる成績じゃなかったのですよ。今までわたしに話しかけてきた文系の皆さん、理系に対してステレオタイプ持ちすぎ、です。