金曜は石川、富山でラストの上映日だったのですが、いろいろ考えてベストな映画館に、本編始まったくらいに飛び込みました。
これだけ「スクリーンで見ておいてよかった」という映画にしばらく会ったことがありません。17歳で見てショックを受けた「プラトーン」以上かもしれません。
倒れた老父が「あいつはどこだ?」と口走ります。「あいつ」とは戦友の名。うわごとで戦友の名を呼びます。老父は全く戦争について語りませんでした。息子がそれを調べだします。
無邪気な新兵たちがだんだん実戦を積み、現実を知ってショックを受け続けるところは「プラトーン」と似ている。そして、上陸シーンを「プライベート・ライアン」に喩える人もいるでしょう。比較で言えば、あの数倍怖い。
戦争というものは、隣にいた戦友がころっと弾や砲弾に当たって死んでしまう、時にはパーツになって転がっている。それも無作為に。いつ自分に来るかわからない。大事な戦友の遺体を見た人の心はどうなるでしょう。誰がわかってくれるでしょうかそんな話。嫌になるくらいリアルな話がこれでもかと出てきます。
この映画に出てくる「英雄」たちはどうもPTSDっぽい。ひとり、アル中になるのが出てくる。途中から「早く医者つれてけよ」と言いたくなる。どうせ、当時はそんな研究も臨床も確立していなかっただろうけど。だから、話の分かる戦友と話すしかなかった。
「分かるだろう、出願しなかったやつとは話が合わない」というようなセリフも出てきます。
そして、国債を買わせるためのショーとして旗を揚げる場面の再現をさせられる。それは、そこにいない3人の戦友を思い出させること。死なせてしまったことを思い出させること。本来の意味でのトラウマ再生産だ。しかも、ショーで上がる花火は砲火の音を思い出させる。フラッシュバックだ。それを全米でやらされる。吐いちゃう兵士が出るのも当然だろう。
祖父が全く語らないわけが、少し分かった気がする。指揮官としては死なせてしまったことに大きな責任も感じるだろうし、できることならあそこで死んでいたほうがよかった、と思っているかもしれない。
どうせあの状況を体験していないものには分からない、分かってたまるか、というメッセージが強烈に感じられた映画だった。
この映画はエンドロールが終わっても立ってはいけない(「週刊文春」小林氏のコラムで読んだ)。前の席に座っていた年配の人が立っちゃったんですが。
この映画の中に流れる、乾いた水に染み入るような静かな音楽はイーストウッド自身の作曲。音数の少ない、純粋さを感じさせるが耳障りでない名曲だと思う。演奏はどうも監督の身内らしい。
そして、映画館を出た後でもまだ監督の思惑が続いている。戦闘シーンをこれでもかと見せられることで、観客は戦時にシンクロしている。映画館を出たら、この違和感はどうだ。クリスマス?なんだそれ。何だそんな平和な話。
この違和感こそが、兵士たちが体験したものだろう。もっともっと強烈な形で。
この記事を読んだら観たくなってきました。
ありがとうございます。なんか受賞すればもう1回上映するかもですね。
2部作なため、日本軍兵士の顔がほぼ出てきません。日本軍からは射程に入っているとか、そういうショットはあるんですけど。それも賢いと思いました。