カレンダーをめくるとそこは連休だった。

相変わらずですが、世の中の連休に合わせることがさっぱりできません。土曜日=一般的には休み、というのも、周りにそうではない人も多いのでさっぱり頭に入りません。いつも「3連休」とか言われて「えっ?」と焦ります。

そういうわたしは、たぶん今日の夜くらいから仕事の下準備に入ります。

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精神的ハラスメントが分かりにくい理由。

たとえばDVには一般的に知られた肉体的なもののほかに、経済的自由を奪う、精神的に追い詰める、など複数のジャンルがある。そして、これだけ「遭ってみないと分からない」状況も珍しいと思う。パワハラ、モラハラ(ほぼ精神的なDVと同じ)、言葉などによるいじめもそう。

ひとつには、加害者側と被害者側の当事者意識がまったく違うため。加害者側には「どうしてそんなことを言われるのか分からない、何も悪いことしてない」という人が多いようだ。

人が傷つくことを言っているという意識がない、言っていたとしてもその場で忘れている、そして、怒鳴っているのに怒鳴っていることが分からない人というのがいる。当然わたしが傷つける側にまわることもあるだろうということも念頭にはある。

かっとしたり、たまたまイライラしていてついきついことを言ってしまうという経験は誰にでもあるだろうが、たぶんそういう日常的なものとはスケールが違う。

「加害者」と言われることすら拒む人がいる。一方、言われた人は10年以上の単位で引きずる。

最近、どうして双方にこれだけ意識の差があるんだろう?と不思議でしょうがない。

さらに、被害者側はとても混乱していることが多い。その最中では自分が巻き込まれ振り回されている状態が何なのか分からない。極限まで行くと、時系列も記憶もめちゃくちゃになるだろう。自分の遭っている状態を表す言葉を見つけ、やっと安心する人も多いようだ。

DVでは仮に夫側を加害者とした場合(逆もあるので)、傍目にはとてもいい人に見える夫側と、被害状況を書き出すと改行も脈絡もない文章を延々と書き、切れやすく情緒不安定の極みにある妻側を冷静に比較した場合、どっちが「困った人」に見えるか、一目瞭然だろう。専門家が当事者になった場合でも、冷静な判断はできないものであるらしい。

学校などのいじめの場合、複数でやればひとりひとりの加害者意識はもっと薄くなるだろう。パワハラは複数遭っているが、ひとりは怒鳴った後奇妙にやさしくなる人だった。で、またぶち切れ、怒鳴る。今思うと、声を荒げていたことが分かっていたのかどうか。

こういうときにはいくつかの対処法があるが、持ちこたえてがんばるとかいう他に、最悪避難することも選択肢の一つだ、と学生のとき専門家に聞いた。物理的に逃げてしまえばいったんは逃れられることもある。逃げる理由は何でもいい。

実際的に使いやすいのは胃あたりの診断書だ。胃炎とか、胃潰瘍とか。わたしの場合は実際に起こしやすかったので。

胃潰瘍はピロリ菌もあるし、すべてストレスが原因で起こるわけではない。だが一般にはストレス起源と思われることが多いようなので、逆手にとってさりげに「ストレスがたまっている」こともほのめかすことができる。生命の危機が迫っている場合、それはやってもかまわないと思う。