DVと境界例。

21世紀は人格障害の時代であると言われる。何かといえばニュースでこの言葉が顔を出す。そして、人々は「さぞかし異常なやつなんだろうな、この人たちは」とニュースを見ているのだろう。光景が目に浮かぶようだ。

だが、人格障害ということばはDSM-IIIのときに初めて作られた訳語だ(出典:途中だが「人格障害をめぐる冒険」)。それ以前はどうしていたのだ。おそらく、「何か変わった人だね」で済んでいたのではないか。

本題の境界例とDVとの関係。加害者にも被害者にも患者がいる。おそらく、面倒なタイプの患者ほど受診しないか、受診を放棄する(医師の書いたものを読んでいると、治療放棄を嘆く文章が多い)。だが、民間などの支援団体で境界例との関係を知らない人がよくいる。プロが手を焼く病気なのに。いや、病気とも言い切れないのか。いったいどうやってんだ。

境界例と境界性人格障害がどう違うか。自身DVの被害者で、被害にあっているとは気づかないまま、とりあえず隙を見て逃げ出したという過去がある。医学的には閉鎖入院の状況だった。で、そのころに聞いたのであやふやなのかもしれないが、カウンセラーさんに聞いた話。

DSMの「境界性人格障害」の基準に従うと、「境界例」の患者さんがこぼれ落ちる。つまり、境界例のほうが守備範囲が広いということか。

実は、先日の監禁事件でかなり辛い思いをした。凶器がいろいろ列挙してあったが、頭が覚えることを拒否している。明らかに洗脳されている被害者の様子(操作=洗脳はDVでは普通)。マインドコントロールが解けたとき、この人はどうなってしまうのだろう。また、加害者の結婚生活が数日だかで終わってしまったのは、やはり暴力が原因と聞く(相談電話よりの情報)。

幸いというか、人格障害には責任能力はある。精神鑑定がまた曲者だという話も聞くが。この犯人がそう診断されたら、きちんと裁いて欲しい。この際、わたしが(おそらく軽度の)境界例であることは関係ない。

頭の中の霧が晴れたように感じたのは、亡くなった被害者の体に殴られた傷があったと、遺族が再捜査を要請したというラジオニュースだった。傷害と傷害致死ではまったく話が違うだろう。再捜査の結果がクロと出て欲しい。

10年経とうと20年経とうと、被害者の方々が心から笑えるようになる日が来るようにお祈りしています。