しばらく「日本の詩歌」シリーズ(図書館にあるかもしれないし、スーパー源氏などで入手可能。古書)を眺めていたのだが。というのも犀星には雪国を扱った「そうそう、そうなんだよね!」と言う詩があったのを思い出したから。昔ダイジェストで読んだ。
で、恐らく全部収録されているであろう作品を読んでいたら、犀星は金沢を捨てたんですね。でも「犀」は犀川の犀だろうし。どっちが先なのかしら。いま半分まで読んだが、有名な「ふるさとは 遠くにありておもうもの」(あやふやですが)はまだ出てきてない。どんな気持ちでこの詩を書いたのだろうか。旧四高の縁だというだけで金沢大の校歌を書いたのだろうか。複雑な気持ちだっただろう。(2016/07/21 3:34追記:かなり考え違いというか、知識不足でした。冬に記念館にも行ってきました。生まれは確かに親と呼べる人がいなくてお寺で育ったようですが、金沢のことは大好きでよく帰省し、奥さんも金沢の人で金沢の食べ物も「お取り寄せ」するくらいでした。四高には行っていません)
ライフヒストリーは、中原中也の詩集に前書きを書いてることから予想はついていた。こんな本借りる人あまりいないので、買う手続きはしたのですが、延長かけて待ちます。
付箋貼っていたらきりがなくなってしまいました。カバーは空色、縦書きでルビ付き、下に上品なラベンダー色で解説がある。装幀もとてもいい。
子守歌
雪がふると子守歌がきこえる
これは永い間のわたしのならはしだ。
窓から戸口から
空から
子守うたがきこえる。
だがわたしは子もりうたを聞いたことがない
母といふものを子供のときにしらないわたしに
さうゆふ唄の記憶があらうとは思へない。
だが不思議に
雪の降る日は聴える(きこえる)
どこできいたこともない唄がきこえる。
もう1作。
氷柱
見てあれば
氷柱(つらら)もけさはとけにけり。
雪かきのけて見れば
春はちひさき腕をくみ
よめ菜のかげにひそみ居り。